大西暢夫
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大西 暢夫
ふりがなおおにし のぶお
国籍
日本
出身地東京都
生年月日 (1968-06-12) 1968年6月12日(55歳)
活動時期1992年 -
受賞歴
第16回 EARTH VISION 地球環境映像祭 最優秀賞
第8回 日本絵本賞
第58回 産経児童出版文化賞 大賞
第59回 小学館児童出版文化賞
第36回 農業ジャーナリスト賞
令和元年度 岐阜県芸術文化顕彰
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大西 暢夫(おおにし のぶお、1968年6月12日 - )は、日本写真家映画監督[1]。主に社会的なテーマや辺境の地を撮影する。
人物・略歴

濃尾平野の端、木曾三川揖斐川の中流域、岐阜県揖斐郡池田町で育つ[1][2][3][4]。研究の仕事で顕微鏡写真を現像していた父親から現像の仕方を教わる。

中学生のときに学校の体育館で映画『ふるさと』を観て号泣、ダムについて考えるようになる[2][3][5]

東京綜合写真専門学校卒業後、本橋成一に師事[1][4][6]チェルノブイリ原発事故放射能汚染され立ち入り禁止になったベラルーシ共和国ゴメリ州ドゥヂチ村で暮らし続けた村民たちを撮影した[7]。『水俣・東京展』(1996年)で展示された土本典昭が撮影した水俣病患者の遺影500枚の現像をした[8]

修行中にダムで水没する故郷の徳山村を撮り続けていたアマチュア写真家の増山たづ子に出会い、1992年からオフロードバイクで東京から片道約10時間、500kmを徳山村に通い、最後まで村に残り暮らし続けるジジババたちを撮影した[2][4]。この他にも、日本各地のダムに水没する村を撮影している[2][3][4][5][6][9][10][11][12]

2001年から20年間、精神保健医療福祉の専門誌「精神科看護」(精神看護出版)連載の取材で精神科閉鎖病棟を撮影してきた[9][13][14][15]

新聞や地方自治関連の総合情報誌「ガバナンス」(ぎょうせい)連載などの取材で伝統産業などの職人たちや辺境の地での営み、農家など日本全国各地の市井の人びとを撮影している[4][9][16][17][18]

新聞連載や滋賀県近江八幡市ボーダレス・アートミュージアムNO-MAの出版物などの取材でアール・ブリュット作家の撮影と支援を継続している[19][20][21][22][23][24][25]。2023年ボーダレス・アートミュージアム NO-MAの館長に就任する[26][27]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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