大衆小説
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大衆小説(たいしゅうしょうせつ)、大衆文学(たいしゅうぶんがく)は、純文学に対して「芸術性」よりも通俗的で「娯楽性」に重きを置いている小説の総称で、時代物(現代物は通俗小説という)を指す。ただし、時代や論者によって、便宜上その語が意味するものが異なり、双方の区別なく「大衆文学」「大衆小説」と呼ばれることも多い。さらに今日では推理小説(探偵小説)やSF小説などを含めることも多く、その意味では「娯楽小説」「エンターテインメント小説」も同義語である。なお、純文学と大衆文学は必ずしも対極に位置するものと定義されているわけではなく、両立可能であるとする説もある。
日本の大衆小説
時代背景

江戸時代からの戯作者たちは、維新後には仮名垣魯文が欧化の時流に乗った『西洋道中膝栗毛』『安愚楽鍋』、梅亭金鵞が『西洋新話』『万国百物語』などを書いたが、戯作は次第に時勢から敬遠されるようになる。彼らはこの頃創刊された〈小新聞〉と呼ばれる大衆向けの新聞社に入って「つづきもの」と呼ばれる戯作調の連載読物を執筆し、久保田彦作『鳥追阿松海上新話』(1878年)や、「夜嵐おきぬ」「高橋お伝」などの実録毒婦もの、幕末の事件、侠客や役者を題材にした作品が人気となる。この頃は他に柳水亭種清、為永春江など幕府時代からの作者に、久保田など魯文他の門下や、新聞記者からの転身など新しい作者も生まれ、『芳譚雑誌』に拠した。自由民権運動が盛んになる1882年頃には政府の欧化抑制と世相の保守化に合わせ、戯作も勧善懲悪の傾向に回帰し、また活版印刷の普及により、曲亭馬琴山東京伝式亭三馬柳亭種彦為永春水らの作品が復刻された。

1885年の坪内逍遙小説神髄』において、勧善懲悪的な物語の否定と、「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」という写実主義的な文学傾向が生まれたが、これへの反発から、硯友社では娯楽性、戯作的傾向を求めて、尾崎紅葉らによる「金色夜叉」(1897年)などが書かれ、硯友社は紅葉の死とともに解体するが、後の大衆小説の原型となる人情小説・風俗小説の流れが生まれた。また明治30年代以来、菊池幽芳小杉天外などの家庭小説が新聞小説として多く書かれた。

戯作文学の流れを汲む「髷物」も明治初めから書かれており、撥鬢小説と呼ばれた村上浪六や、宮崎三昧、前田曙山、行友李風らの作家がいた。また講談の流れの上に、三遊亭円朝などによる速記講談、立川文庫などの書き講談、講談倶楽部による新講談などが人気を博し、1919年(大正8年)には堺利彦白柳秀湖らによって講談による大衆の思想善導を目指す、講談の改造運動が始まり、『改造』誌上では「新時代に適応すべき、形式上および思想上の改造講談[1]」とする社会講談が提唱された。さらに娯楽雑誌『日本一』では1920年に「講談革命号」を発行し、ここで「民衆文芸」の呼び名を使っている。

1883年(明治16年)に板垣退助が渡欧した際にユーゴーに会い、自由民権思想の普及のために自作を含めて政治小説を読ませることを説かれ、板垣はたくさんの小説を持ち帰った。これらの西洋の小説は翻訳、翻案されて、森田思軒「瞽使者」(1887年、ジュール・ヴェルヌ)、「塚原渋柿園「マンチェスターの叛乱」(1887年)や、黒岩涙香による「鉄仮面」(1892年)「巌窟王」(1901年)などが広く読まれた。また矢野龍渓による政治小説「経国美談」(1883-84年)、冒険小説「浮城物語」(1890年)の影響を受けて、押川春浪「海底軍艦」(1900年)など多くの冒険小説が書かれて青少年が熱中した。明治末から大正始めにかけては、『中央公論』の「説苑」欄で、松崎天民田中貢太郎村松梢風大泉黒石などの実録情話ものが人気となった。


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