大蔵雄之助
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大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 -2020年1月8日[1])は、日本ジャーナリストコメンテーター
略歴

福岡県生まれ。東京都立戸山高等学校[2]一橋大学法学部卒業。1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。1957年東京放送入社。1962年-1966年英国放送協会出向、1976年-1978年モスクワ支局長、1986年-1987年報道局長を経て、1987年退社。

退社後も、TBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ!』の「ニュースズームアップ」などにコメンテーターとして出演していた。1987年東洋大学社会学部教授に就任。異文化研究所代表を務める。

2000年11月、杉並区教育委員会の教育委員に杉並幼稚園(私立)園長の宮坂公夫とともに任命された[3][4]。「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した扶桑社の歴史教科書の採択のために動く。2001年夏に行われた区教委の中学教科書の採択では委員5人のうち2対3の多数決で不採択となったが、2005年8月の教科書採択では3対2と逆転。公立中学校としては栃木県大田原市に続く採用となり、注目を浴びた[5][6]。その後、大蔵は教育委員長に就任し[7]、2006年10月22日に八木秀次らによって「日本教育再生機構」が設立されると[8]、同団体の代表委員に就任した[9]

日本国際フォーラム政策委員を務めた[10]。また、世界日報で時折コラムを担当していた。
著書

ソヴィエト見聞録 放送記者の見たままノート』ティビーエス・ブリタニカ、1980.7。講談社文庫 1984

『続ソヴィエト見聞録』ティビーエス・ブリタニカ、1981.10。講談社文庫 1985 

ブレジネフ時代の終り 曲り角のソヴィエト』ティビーエス・ブリタニカ、1982.11.

『新・ソヴィエト見聞録』講談社文庫、1988.6

『こちらロンドンBBC BBC日本語部の歩み』サイマル出版会、BBCライオンシリーズ、1983

『通信戦争 勝者の条件は何か』講談社、1985.5.

ニューメディア文化論 マスメディア社会のなかで』中央経済社、1986.7.

『一票の反対 ジャネット・ランキンの生涯』文藝春秋、1989.9。麗澤大学出版局、2004 

ゴルバチョフが米国に亡命する日 迷走する大国の緊急レポート』ベストセラーズ、ワニの本. 1991

『西ヘ向カッテ走レ』講談社、1991

翻訳

ギルバート・フェルプス『
英国王室物語 イギリス君主制の歴史』サイマル出版会、BBCライオン・シリーズ、1975

トレバー・レゲット『他山の玉石 レゲットさんが率直にいえば』サイマル出版会、BBCライオン・シリーズ、1984

ジーナ・カミンスカヤ『赤い冤罪』PHP研究所、1985.11.

ホィットマン・バッソウ『革命からグラースノスチまで モスクワ特派員が報じたソヴィエト』ティビーエス・ブリタニカ 1989.9.

ダスコ・ドーダー、ルイーズ・ブランソン『ゴルバチョフ 1931-1991』ティビーエス・ブリタニカ、1991.4.

ジェイムズ・ラスブリッジャー、エリック・ネイヴ『真珠湾の裏切り チャーチルはいかにしてルーズヴェルト第二次世界大戦に誘い込んだか』文藝春秋、1991.11.

ヴラジーミル・ポズネル『ソ連邦解体運命の三日間』文藝春秋、1992.2.

ポール・ゴードン・ローレン『国家と人種偏見』ティビーエス・ブリタニカ、1996.1.

ジョン・ビーサント『スターリンの銀塊』文藝春秋、1996.7.

C.ルロイ・アンダースン,ジョーン・R.アンダースン編『もう黙ってはいられない 第二次世界大戦の子どもたち』編訳 晶文社、1997.3.

ジョン・J.フィアルカ『経済スパイ戦争の最前線』文藝春秋、1998.8.

トレヴァー・レゲット『紳士道と武士道 コモンセンスの思想、サムライの伝統』麗澤大学出版会、2003.7.

ポール・L.ウイリアムズ『ビンラディンのアメリカ核攻撃指令』イースト・プレス、2004.10.

エリザベス・バード『わが終わりにわが始めあり 不滅の女王メリー・スチュアート』麗澤大学出版会、2006.12.


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