この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "大船渡港"
大船渡港
サン・アンドレス公園より、大船渡港の太平洋方面を望む(2006年10月9日)。.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}大船渡港大船渡港の位置
所在地
国 日本
所在地岩手県大船渡市
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度03分51.06秒 東経141度43分41.40秒 / 北緯39.0641833度 東経141.7281667度 / 39.0641833; 141.7281667座標: 北緯39度03分51.06秒 東経141度43分41.40秒 / 北緯39.0641833度 東経141.7281667度 / 39.0641833; 141.7281667
詳細
開港1967年
管理者岩手県
種類重要港湾
統計
統計年度2010年
貨物取扱量2,670,755t[1]
コンテナ数2,839TEU、(実貨)1,860TEU[2]
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集の仕方はTemplate:Infobox 港をごらんください。
大船渡港周辺の空中写真。画像左上付近が大船渡市役所のある盛地区。その南側の港の西岸に広がる市街地が大船渡町地区である。1977年撮影の15枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。JR大船渡線の車窓から湾口防波堤と太平洋方面を望む(2006年10月9日)大船渡魚市場と大船渡港(2013年6月1日)南側から見た大船渡港と大船渡市街地(2013年6月1日)
大船渡港(おおふなとこう)は、太平洋に開けた大船渡湾に面している、日本の港湾。岩手県大船渡市に所在する重要港湾。港湾管理者は岩手県である。 県の南東部に位置する港で、北隣の釜石市に位置する釜石港に次ぐ規模、貨物取扱量を誇る県内重要港湾である。 大船渡湾の湾内にあり、港の中央にある珊琥島により東側水路(水深28 - 29m)と西側水路(水深11 - 19m)に分けられる[3]。東側航路と西側航路の可航幅はそれぞれ約200mである[3]。 港内には第一種区画漁業の大船渡市漁業協同組合が設置したかき筏などの養殖施設や定置網が広範囲に設置されている[3]。 1887年(明治20年)には日本海軍軍艦「雷電」(旧称:蟠竜丸)が入港し、天然の良港であることが認められた。 その後、港湾の整備はほとんど進まなかったが、1922年(大正11年)に内務省の指定港湾となり、1932年(昭和7年)に時局匡救事業、冷害対策として野々田(ののだ)地区において港湾改修に着工し、1936年(昭和11年)に水深?7.3m岸壁1バースが完成した。一方、これを前後として、背後地への連絡の動脈たる国鉄大船渡線が開通し、港湾に大きな影響を与えた。1948年(昭和23年)には大船渡港改修事業計画の策定に伴って岸壁の増築等計画に着手し、茶屋前(ちゃやまえ)地区に1955年(昭和30年)、水深?6m岸壁(延長108m)、水深?4m岸壁(延長195m)が完成した。1957年(昭和32年)5月、東北開発関係法 1959年(昭和34年)6月に岩手県では3番目の重要港湾として指定され、翌1960年(昭和35年)には茶屋前地区に水深?9m岸壁1バースが完成した。 政府は、1960年(昭和35年)のチリ地震津波を契機として特別措置法を制定し、これに基づいてチリ地震津波対策として直轄施工によって1963年(昭和38年)、湾口防波堤の築造に着手し、4年の歳月と19億円の巨費を投じて日本初の深海防波堤の完成を見た。 1968年(昭和43年)、茶屋前地区工業用地に木工団地
概要
歴史
1993年(平成5年)3月には、永浜・山口地区の公共埠頭、茶屋前地区の旅客船埠頭および湾口防波堤周辺地区の公共マリーナ整備を骨子とし、2001年(平成13年)を目標年次とした港湾計画が決定され、現在、水深13m(4万トン級船舶対応)岸壁などの整備を進めており、今後、港勢は一段と躍進するものと期待される。永浜・山口地区の公共埠頭の供用が開始されれば、外国貿易定期便の便数や釜山港以外の海外の主要港とも定期航路が設置される予定である。
2001年(平成13年)7月に、それまでの函館税関釜石税関支署大船渡出張所から、機構改正によって新たに函館税関大船渡税関支署に昇格した。これに伴い、釜石税関支署は函館税関大船渡税関支署釜石出張所に降格した。
2003年(平成15年)9月までは警察・海上保安部とも警備救難船舶の配置がなかったが、同年10月1日より、大船渡警察署に警備艇さんりく (22.00t) が配置(釜石警察署から配置換え)された。
2005年(平成17年)には「ポート・オブ・ザ・イヤー2004」グランプリ(情報誌『港湾』を発行する日本港湾協会の企画)を[4][5]、2009年(平成21年)には「クルーズ・オブ・ザ・イヤー2008」特別賞(日本外航客船協会の企画)を受賞した[5]。
2007年(平成19年)4月下旬には、岩手県内初の外国貿易コンテナ船の定期航路が、韓国の釜山港(釜山広域市)との間で開設された[6][7]。海運会社は韓国の興亜海運、日本総代理店は三栄海運である[7]。便数は毎週土曜日。これにより、大船渡市は岩手県内において唯一の海の国際玄関口となった。これまで岩手県内の物資の輸出入は遠く離れた仙台港や秋田港、横浜港から行っていたが、大船渡港 - 釜山港の定期航路開設により、物資のほとんどが大船渡港を発着することとなった。