1930年に起きた「大聖寺地震」とは異なります。
大聖寺沖地震
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地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日1952年(昭和27年)3月7日
発生時刻16時32分38.7秒(JST)
震央 日本 石川県江沼郡大聖寺町沖
北緯36度29.8分
東経136度8.8分(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度29.8分 東経136度8.8分 / 北緯36.4967度 東経136.1467度 / 36.4967; 136.1467
大聖寺沖地震(だいしょうじおきじしん)は、1952年(昭和27年)3月7日に石川県江沼郡大聖寺町の沖合約20kmを震源として発生した地震。 震央位置は北緯36度29.8分、東経136度8.8分、震源の深さは17kmである。地震の規模はM6.5で、石川県で7人の死者を出した。本震の初動(最初の揺れの向き)は震央の南や北では上向きの引き、東や西では下向きの押しであり、節面は北西-南東方向と北東-南西方向にあった。また、水平方向の初動は近畿や四国側で大きく、他の地域では小さかった[1]。 最大余震は3月8日に発生したM5.0の地震で、福井市で最大震度3を観測した。余震は本震の震央周辺の深さ30km付近に集中し、その余震域は福井地震の余震域の北端にある[2]。 気象官署などで震度3以上を観測した地点は次の通り[3] 震度都道府県観測所 金沢測候所の管轄内では大聖寺と小松で震度5の強震を観測した[1]。 震央に近い石川県で7人の死者と8人の負傷者を出した。死者のうち5人が火災による焼死で、負傷者のうちの1人も火災によるものであった[1]。 家屋被害の多くは壁の亀裂や剥脱で、大聖寺町や小松市では屋根瓦が落下する被害があった。小松市では鳥居の石版額が落下して幼児に当たり死亡した。インフラ被害の多くは道路の亀裂や電線・電話線が切断するものであった。金津町では満水状態の用水路の堤防が決壊し、周辺の田に埋没などの被害が発生し、湊村では手取川沿岸の埋め立て地で液状化現象が発生した。このほか、墓石や石灯籠、鳥居の倒壊が発生した。 福井県でも建物や道路に被害があり、北潟村で道路の亀裂や沈下のほか、背面がけ崩れによる民家が1戸埋没、地盤沈下による民家の60戸傾斜した[1]。
概要
震度
4富山県富山
石川県輪島
福井県福井
3富山県伏木
石川県金沢
福井県大野通報所・敦賀
茨城県柿岡
新潟県高田
長野県諏訪・飯田
岐阜県高山・岐阜・白鳥通報所
静岡県浜松
愛知県名古屋
三重県亀山測候所・津
滋賀県彦根
京都府舞鶴
兵庫県豊岡
被害
脚注[脚注の使い方]^ a b c d 大聖寺沖地震
^ 岡本拓夫、平野憲雄、西上欽也、竹内文朗、和田博夫、「福井県鯖江市付近に認められる低地震活動域とそのテクトニクス
^ “震度データベース検索”. 気象庁. 2014年5月17日閲覧。
出典
大聖寺沖地震踏査報告(1) 山下勇 驗震時報第17卷 第3号 pp.103-104
大聖寺沖地震踏査報告(2) 中島信之 驗震時報第17卷 第3号 p.105
大聖寺沖地震踏査報告(3) 塚本章・中山正喜 驗震時報第17卷 第3号 pp.107-108
関連項目
大聖寺地震
能登半島地震
1885年 - 1899年 1885年 - 1889年 1900年 - 1949年 1900年 - 1909年
熊本(1889年、M6.3)
1890年 - 1899年
濃尾(1891年、M8.0)
能登(1892年、M6.4)
色丹島沖(1893年、M7.7)
根室半島沖(1894年、M7.9)
明治東京(1894年、M7.0)
庄内(1894年、M7.0)
霞ヶ浦(1895年、M7.2)
茨城県沖(1896年、M7.3)
明治三陸(1896年、M8.5)
陸羽(1896年、M7.2)
宮城県沖(1897年、M7.4)
三陸沖(1897年、M7.7)
宮城県沖(1898年、M7.2)
多良間島沖(1898年、M7.0)
紀伊大和(1899年、M7.0)
日向灘(1899年、M7.1)
宮城県北部(1900年、M7.0)
奄美大島沖(1901年、M7.3)
青森県東方沖(1901年、M7.4)
青森県三八上北地方(1902年、M7.0)
芸予(1905年、M7.2)
福島県沖(1905年、M7.1)
熊野灘(1906年、M7.5)
房総沖(1909年、M7.5)
江濃(1909年、M6.8)
沖縄(1909年、M6.2)
宮崎県西部(1909年、M7.6)
1910年 - 1919年
喜界島(1911年、M8.0)
日高沖(1913年、M7.0)
桜島(1914年、M7.1)
秋田仙北(1914年、M7.1)
石垣島北西沖(1915年、M7.4)
十勝沖(1915年、M7.0)
宮城県沖(1915年、M7.5)
明石海峡(1916年、M6.1)
静岡(1917年、M6.3)
択捉島沖(1918年、M8.0)
大町(1918年、M6.1+M6.5))
1920年 - 1929年
龍ヶ崎(1921年、M7.0)
浦賀水道(1922年、M6.8)
島原(1922年、M6.9)
茨城県沖(1923年、M7.1)
九州地方南東沖(1923年、M7.3)
大正関東(関東大震災)(1923年、M7.9)
北海道東方沖(1924年、M7.5)
茨城県沖(1924年、M7.2)
網走沖(1924年、M7.0)
北但馬(1925年、M6.7)
沖縄本島北西沖(1926年、M7.0)
宮古島近海(1926年、M7.0)
北丹後(1927年、M7.3)
岩手県沖(1928年、M7.0)
1930年 - 1939年
大聖寺(1930年、M6.3)
北伊豆(1930年、M7.3)
三陸沖(1931年、M7.2)
西埼玉(1931年、M6.9)
日向灘(1931年、M7.1)
昭和三陸(1933年、M8.1)
宮城県沖(1933年、M7.1)
七尾湾(1933年、M6.0)
硫黄島近海(1934年、M7.1)
静岡(1935年、M6.4)
三陸沖(1935年、M7.1)
河内大和(1936年、M6.4)
宮城県沖(1936年、M7.4)
新島近海(1936年、M6.3)
宮城県沖(1937年、M7.1)
茨城県沖(1938年、M7.0)
屈斜路湖(1938年、M6.1)
宮古島北西沖(1938年、M7.2)
福島県東方沖(1938年、M7.5)
日向灘(1939年、M6.5)
男鹿(1939年、M6.8)
1940年 - 1949年
積丹半島沖(1940年、M7.5)
長野(1941年、M6.1)
日向灘(1941年、M7.2)
青森県東方沖(1943年、M7.1)
鳥取(1943年、M7.2)
長野県北部(1943年、M5.9)