大聖堂_(ケン・フォレットの小説)
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『大聖堂』(だいせいどう、英語: The Pillars of the Earth)は、ケン・フォレットによる歴史小説。1989年に発表され、日本では1991年新潮文庫から矢野浩三郎訳により出版された。2005年にはソフトバンク文庫により再版されている。

12世紀中葉の史実を背景として、キングズブリッジという架空の町に建築される大聖堂を中心として展開される群像劇。ホワイトシップの遭難から始まる無政府時代からカンタベリー大司教トマス・ベケットの暗殺という半世紀の間が描かれている。

ロマネスク建築からゴシック建築へ移り変わる技術的な歴史も背景としている。キングズブリッジは実際のイングランドの町から名前をとっているが、作中のキングズブリッジは筆者の創作によるものである。

ケン・フォレットはこの小説以前はスリラー小説のジャンルで活躍していたが、大聖堂は全世界で2,000万部を売り上げ、代表作となった。

続編の『大聖堂-果てしなき世界』(World Without End)が2007年10月に発売された。日本では2009年にソフトバンク文庫から戸田裕之訳により出版されているが、内容的には直接の続編ではない。

2010年にテレビドラマ化され、日本では『ダークエイジ・ロマン 大聖堂』のタイトルで2011年に放映された。
あらすじ
プロローグ 1123年

イングランド南部にあるシャーリングの町で、一人の青年が絞首刑に処されようとしていた。青年が絶命した瞬間、金色の目を持ち、妊娠しているらしい一人の少女が遠巻きに処刑を見ていた三人の男たち、すなわち司祭騎士修道士に呪いをかけ、すばやく身をひるがえしてその場から走り去っていった。
第一部 1135年?1136年

トム・ビルダーは腕の立つ石工で、かつてエクセターの大聖堂の建築に参加していた。そこで石工として大きく成長したトムは、いつの日か自分の設計した大聖堂を建築するという生涯の夢を抱き、そのため条件の良い専属石工の話も断っていた。しかし彼は腕が立つため、仕事には困らなかった。

トムはその年の秋、パーシー・ハムレイという領主の息子ウィリアムの新婚のための屋敷を建築していた。しかしウィリアムは、シャーリング伯爵の令嬢アリエナに婚約を解消されてしまった。知的だが高慢な少女だったアリエナは、粗野で下品なウィリアムとの結婚を嫌ったのである。解雇されたトムは冬を越すためしばらく農作業の手間賃を稼ぎ、晩秋になって移動を開始した。しかし貴重な財産である豚を盗まれた上、すでに冬に入って建築の現場はどこも休止しており、トムは仕事がどこにも見つからずに困窮した。出発の時期が悪かったのである。困っていたトムの一家は、森で暮らしていた金色の目をもつエリンという女とその息子のジャックに助けられた。トムとエリンは互いに惹かれるものを感じたが、トムは再び仕事を求めて町から町へさまよう。

修道士フィリップはウェールズの出身で、両親はまだフィリップが幼いとき、故郷の村を襲ったイングランドの兵士たちに殺された。フィリップと弟のフランシスはその時、急を知って駆けつけた近くの修道院のピーター院長に救われ、その修道院で育てられた。フィリップはやがて敬虔で学識豊かな修道士となり、ピーター院長の友人が院長を務めるイングランドのキングズブリッジ修道院に招かれた。フィリップはその分院を任され、堕落し荒廃していた分院を見事に立ち直らせた。だが問題はむしろ本院のほうにあった。本院は無気力で卑屈な老人であるジェームズ院長の下で財政的にもモラル的にも破綻しており、それは日増しに悪化する一方だったのである。問題の根本的な原因は、本来修道院を指導すべき立場にあるジェームズ院長の無気力にあり、院長が生きているうちは修道院全体の改革は望めないだろうと考えたフィリップは歯がゆい思いをする。

そんな時、より世俗的な教会での出世の道を選んで修道院を去り、現在はヘンリー1世の庶子グロスター伯ロバートに仕えているフランシスが訪ねてきた。当時のイングランドはヘンリー1世のただ一人の嫡出の王子であったウィリアムが1120年に起こったホワイトシップの遭難で死亡したために、ウィリアムの同母姉で、モード、あるいはモード女帝などと呼ばれていたマチルダが後継者に指名されていた。


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