スターリン主義
概念マルクス・レーニン主義
一国社会主義論・五カ年計画
農業集団化・クラーク絶滅
大粛清
大粛清(だいしゅくせい、露: Большой террор)とは、ソビエト連邦(ソ連)の最高指導者ヨシフ・スターリンが1930年代にソビエト連邦および衛星国のモンゴル人民共和国等で実行した大規模な政治弾圧を指している。スターリンからすれば、粛清とは、党の浄化を意味した[1]。
ソビエト連邦の崩壊後の現在では массовые репрессии (大弾圧)や Большой террор (大テロル)[2][3][4][5][6]、ежовщина (エジョフシチナ)などと呼ばれている。Большая чистка (大粛清)は、党員の資格点検運動を意味するчистка(チーストカ、粛清)と混同されやすいので、大テロルの方が比較的適切であるとも言う[7]。 ソビエト連邦共産党内における幹部政治家の粛清に留まらず、一般党員や民衆にまで及んだ大規模な政治的抑圧として世界でも悪名高い出来事である。1934年のセルゲイ キーロフ暗殺から始まった。ロシア連邦国立文書館にある統計資料によれば、1937年から1938年までに、134万4,923人が即決裁判で有罪とされ、68万1,692人が死刑判決を受け、63万4,820人が強制収容所や刑務所へ送られた[8]。ただし、この人数は反革命罪で裁かれた者に限る。ソ連共産党は大きな打撃を受け、旧指導層(オールド・ボリシェヴィキ)はごく一部を除いて絶滅させられた。特に地方の地区委員会、州委員会、共和国委員会が丸ごと消滅したケースもある。 1934年の第17回党大会の1,966人の代議員中、1,108人が逮捕され、その大半が銃殺刑となった。1934年の中央委員会メンバー(候補含む)139人のうち、110人が処刑されるか、あるいは自殺に追い込まれた。
概要