おおぞら まゆみ
大空 眞弓
『映画情報』1965年2月号(国際情報社)より
本名中田 佐智子
生年月日 (1940-03-10) 1940年3月10日(84歳)
出生地 日本・東京市赤坂区(現在の東京都港区)[1]
血液型AB型
職業女優
ジャンル映画・テレビドラマ・舞台
活動期間1958年 -
配偶者勝呂誉(元夫)[1]
主な作品
テレビドラマ
『愛と死をみつめて』[1]〈1964年版〉
『心』
『春日局』
受賞
第15回菊田一夫演劇賞
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大空 眞弓(おおぞら まゆみ、本名;中田 佐智子、1940年3月10日[1] - )は、日本の女優。オフィスのいり所属。
来歴・人物『芸能画報』1958年2月号(国際写真通信社)『婦人生活』1964年7月号
東京市赤坂区(現在の東京都港区)生まれ。父親は沖縄県宮古島、母親は広島県の出身[2]。目黒、深川に転居後、1歳半の時、父親が貿易会社に就職したため中国北京に一家で渡る。終戦間際に帰国し母親の郷里・広島に住む。1945年、5歳の夏、同県佐伯郡五日市町(現在の広島市佐伯区)で原爆に遭遇。爆心地が遠かったため、その時は誰も症状は出なかったが、姉は20代後半に胃ガンで亡くなっている。終戦後、父親が大分県別府市で家具の製造会社を始めたため転居、その後父親が北京時代の人脈を活かし東京で貿易会社を興したため小学校2年の時、一家で東京に戻り九段に落ち着く[3]。なお、小学校の同級生に岸田森がいる。千代田区立九段小学校、白百合学園中学校・高等学校卒業。東洋音楽短期大学中退。
東洋音楽短期大学声楽科在学中、母・安重と共に歌舞伎を観に行った帰りに歌舞伎座の前でスカウトされ、大学を中退して1958年に新東宝に入社し、映画『女王蜂』でデビュー。その後、東京映画に移籍、喜劇『駅前シリーズ』などに出演[1]。
1964年、『愛と死をみつめて』が大ヒット。不治の病に冒される主人公・大島みち子役を演じ、お茶の間の人気を不動のものとした[1]。なお、この作品を石井ふく子がプロデュースした関係から、以降、石井が関わる作品にはたびたび出演した。
初舞台は1962年の『黒蜥蜴』。1990年には『人生は、ガタコト列車に乗って……』で第15回菊田一夫演劇賞を受賞。その後も主にテレビドラマ・舞台を中心に活躍を続けている。俳優の勝呂誉と結婚し1児をもうけたが、後に離婚[1]した。2021年には東京を離れて息子夫婦と三人で沖縄に移住している[4]。
エピソード
大島みち子役で女優として売れ始めた頃、父親の出身地である沖縄県平良市(宮古島)の小学校にピアノがなかったことから、自費で購入し寄贈。話題となった。
1959年(昭和34年)3月2日から6日まで開催された「ベルリン日本映画芸術の日」と3月6日から11日まで開催された「ミュンヘン日本映画見本市」に出席のため、3月1日、山梨稔