大神 杜女(おおが の もりめ)は、八幡信仰が全国へ広がるきっかけを作った人物[1][2]。大神朝臣杜女とも。大神比義命(おおがのひぎのみこと)の子孫[3][4]。 養老4年(720年)、隼人征伐の際に、大神比義の子孫で宇佐八幡宮の祝の大神諸男が八幡神が乗った御神輿に付き添い、禰宜の大神杜女が御杖代、同じく禰宜の辛島波豆米 奈良時代の東大寺大仏造立の際に大神比義の子孫で宇佐八幡宮の禰宜尼であった大神杜女が八幡神を奉じて入京し、大仏造立事業への援助を託宣したのが、中央の八幡信仰の進出のきっかけになった。 これが元で八幡信仰が広がり、貞観二年(860年)、宇佐八幡宮から石清水八幡宮が勧請され都における八幡信仰の拠点になった[1][4]。 宇佐八幡宮には、大神杜女の祖であり、宇佐八幡宮を創始した大神比義を祀った大神祖神社がある。 天平20年(748年)八幡大神祝部従八位上、大神宅女と、従八位上、大神杜女、両名が外従五位外を授かる[6]。 翌年の天平勝宝元年(749年)12月25日に、杜女は東大寺大仏を拝した。孝謙天皇・太上天皇・皇太后も同行された。東大寺には百官諸氏
歴史
隼人征伐
東大寺大仏と八幡信仰が全国へ
階位授与
『八幡宇佐宮御託宣集』
関連項目
宇佐八幡宮
石清水八幡宮
大神祖神社
大神比義命(おおがのひぎのみこと)
鶴岡八幡宮
八幡信仰