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宮中祭祀の主要祭儀一覧
四方拝・歳旦祭
元始祭
奏事始
昭和天皇祭(先帝祭)
孝明天皇例祭(先帝以前三代の例祭)
祈年祭
天長祭(天長節祭)
春季皇霊祭・春季神殿祭
神武天皇祭・皇霊殿御神楽
香淳皇后例祭(先后の例祭)
節折・大祓
明治天皇例祭(先帝以前三代の例祭)
秋季皇霊祭・秋季神殿祭
神嘗祭
新嘗祭
賢所御神楽
大正天皇例祭(先帝以前三代の例祭)
節折・大祓
大祓(おおはらえ、おおはらい)は、日本の神道儀式の祓の1つ。祓は浄化[注釈 1]の儀式として宮中や神社で日常的に行われるが、特に天下万民の罪穢を祓うという意味で大祓という[1]。毎年6月と12月の晦日、すなわち、新暦6月30日と12月31日に行われるものを恒例とするが、天皇即位後の最初の新嘗祭である大嘗祭の前後や、未曽有の疫病の流行、斎宮斎院の卜定、災害の襲来などでも臨時に執り行うことがあった。中臣(なかとみ)の祓とも言われる。 大祓の初見は、『古事記』仲哀天皇の段にある「更に国の大奴佐(おほぬさ)を取りて、生?(いきはぎ)、逆?(さかはぎ)、阿離(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、屎戸(くそへ)、上通下通婚(おやこたはけ)、馬婚(うまたはけ)、牛婚(うしたはけ)、鶏婚(とりたはけ)、犬婚(いぬたはけ)の罪の類を種種求(ま)ぎて、国の大祓して」を指すとされる[1]。これら祓うべきものたちを「天つ罪」「国つ罪」といい、世俗的な罪とは異なり、祓い清めるには普通の祓式で用いる短文の祓詞(はらえことば、のりと)ではなく、長文の大祓詞を奏上、あるいは宣(の)り下して浄化する。大祓詞には地上で国の人間が犯す罪が主体の「国つ罪」よりも農耕に関する慣行を破ることが主体の「天つ罪」のほうを先に列挙しており、古代ではこちらのほうが共同体秩序を乱す大罪と考えていたことが窺える。 大祓詞の内容は、元々は6月と12月で内容が異なっていたが、『延喜式』に「六月晦大祓、十二月此准」とあり、6月のものが残ったとされる。現在は神職が神へ奏上する形をとっているが、『延喜式』に残された内容からは、本来は参集者に向かって「祝詞をよく聞け」と呼びかけこれに「おう」と称唯
解説
このように、大祓は、これら既に起きてしまった災厄をリセットして今後の国体の鎮守を図る意味の他、共同体の構成員に全員の参加を義務付けて宣下する本来の形式が推定されることから、上位の政権による“禁忌を犯してはならない”という法を広く知らしめて遵守させる側面があったと考えられる[2]。
現在は大正3年(1914年)に当時の内務省の選定による神話や障害者に対する差別的な表現内容を含む天つ罪・国つ罪の列挙の部分が大幅に省略された大祝詞が奏上される。これは中臣祭文[3](さいもん)とも言われ、現在の大祓詞はこれを一部改訂したものになっている。
宮中祭祀昭和天皇の即位の礼。即位の礼の年に行われる大嘗祭では、天皇が神と一緒に食事をする「大御饌供進の儀」の前に禊と大祓が行われる。「解除 (行事)」も参照
大宝元年(701年)の『大宝律令』によって正式な宮中の年中行事に、その施行細則は『延喜式』に定められた。この上代の頃の儀式の様子は『儀式』『北山抄』『江家次第』などの文書で知ることができる。また『日本書紀』に天武天皇5年(676年)8月、全国の国造や郡司から馬・布・麻などの祓物を出させて大解除を行ったとする記事が見える[4]。
現在の大祓は『養老律令』によるものだが、神祇令によれば、毎年の 6月と12月の晦日に中臣(なかとみ)が祓の麻(ぬさ)を東西(やまとかわち)の文部(ふびとべ)が祓の刀(たち)(罪穢を断つ義)を奉り、祓所にて、中臣が百官の男女に大祓詞を宣り下し、卜部(うらべ)が解除(はらえ)をしていた。この「祓所」とは多くは朱雀門[5]であり、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れを祓った。しかし室町時代に起きた応仁の乱で京都市街が荒廃すると、門前でのこのような儀式も廃絶してしまった。
明治4年(1871年)、明治天皇は宮中三殿賢所の前庭にて大祓を400年ぶりに復活させ、翌明治5年に太政官布告を出して『大宝律令』以来の旧儀の再興を命じた[6]。なお、6月のものも12月のものも名称はどちらも同じく「大祓」である。
改暦の年である明治6年(1873年)より宮中祭祀では新暦6月30日と12月31日を採用している。また、同年1月7日太政官第2号布告によって6月28日から30日までの3日間と12月29日から31日までの3日間がそれぞれ休暇日(休日)とされた。ただし、6月28日から30日までの3日間の休暇日は、直前の同年6月23日太政官第221号布告によって取り消されている。
それまで慣例として、皇室での大祓では参列する皇室の範囲を成年男子の親王に限っていた。平成26年(2014年)6月10日、宮内庁より、男性皇族が実質少なくなったことを理由に、以降の大祓への参加を成年女性の皇族にまで範囲を広げると発表された[7]。
民間行事としての大祓茅の輪(大和神社)
民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。民間の場合、6月のものは「夏越の祓」(なごしのはらえ)、12月のものは「年越の祓」(としこしのはらえ)と呼び分けられる。前者は「名越」と表記されたり、「夏越神事」「夏祓」「六月祓」などと呼ばれることもあり[8]、また、月遅れを採用する事例も見られる。