大礼服
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大礼服姿の濱口内閣の閣僚たち。濱口雄幸内閣総理大臣(中央)はじめほとんどの閣僚は勅任官大礼服。宇垣一成陸軍大臣(右から2人目)は陸軍の正装外務大臣幣原喜重郎男爵(右から3人目)は有爵者大礼服。

大礼服(たいれいふく、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:大禮服󠄁)は、明治時代から太平洋戦争敗戦までの日本において使用されていた、エンパイア・スタイルの宮廷服(court dress)。明治初頭に導入され、その後大日本帝国憲法発布に至る立憲君主制確立の過程で整備・確立された、いわゆる「大日本帝国の服制」[1]における最上級の正装であった。皇族華族(有爵者)および文官などの大礼服は諸法令により制式が定められていた。
沿革明治4年2月15日1871年4月4日)、造幣局創業式に出席した政府高官、各国公使。中央の右大臣三条実美烏帽子狩衣。西洋風軍服に丁髷の人物が見られる。

明治維新当初、新政府を構成した人々の服装は江戸時代の身分によって、公家の衣冠狩衣、武家の直垂、西洋化された藩兵の西洋式軍服とまちまちであった。例えば、明治元年(1868年)の東幸では服装について、出立と入城の際は衣冠で道中は狩衣とすべきと主張する公家の中山忠能と、狩衣は入城の際のみとして道中は直衣・直垂を任意とすることを希望する同じ議定で武家の伊達宗城の間で意見が対立した。その結果、道中は狩衣と直垂の着用を任意とされ、入城の際は衣冠の着用も可とされた。しかも、衣冠・狩衣・直垂は各自で色や紋が異なるため行列の服装は全く統一されず、威厳とは程遠いものだった。更に、沿道警護の兵は西洋式軍服姿であったが、これも洋服の着こなしに慣れていないために統一性を欠いており、アーネスト・サトウからは、行列の威厳が損なわれたのは「だらしがない兵隊のせいである」と酷評された。この統一性のない服装の行列は明治2年(1869年)の東幸でも変わらなかった[2]

そのため、維新政府には統一された新たな服制が必要となり、明治2年5月の官吏公選によって発足した新体制では、刑法官知事へ就任した嵯峨実愛岩倉具視の意を受けてこの問題を担当することになった。そして、11月2日の集議院に於いて、岩倉の提議により、嵯峨が蜷川式胤らの協力により考案した新政府の官員が着用する制服について審議されることとなった。しかし、このとき提案された冠服は、公家の服装を基にしたものであったため、武家出身者からの反発に遭った。このような混乱を収束するために、明治4年9月4日1871年10月17日)、「服制改革内勅」[注 1]が出された。この内勅は従来の服装に拘る華族に対するもので、衣冠などの服装は軟弱であり、神武天皇神功皇后の頃の姿に戻るべきとしている。この「神武・神功の頃の姿」とは「筒袖・細袴」を意味しており、洋服もまた「筒袖・細袴」なので、洋服は日本人本来の姿と相通ずるものであることを示唆している。そして、“神武創業”の精神に立ち返って新しい服制を創造しようと呼びかけている[4]。「服󠄁制改革?敕」
朕󠄂惟フニ風俗ナル者󠄁移換以テ時ノ宜シキニ隨ヒ國體ナル者󠄁不拔以テ其勢ヲ制ス今衣冠ノ制中古唐󠄁制ニ模倣セシヨリ流テ軟弱󠄁ノ風ヲナス朕󠄂太タ慨󠄁之夫レ神󠄀州ノ武ヲ以テ治ムルヤ固ヨリ久シ天子親ラ之カ元帥ト爲リ衆庶以テ其風ヲ仰ク神󠄀武創業神󠄀功征韓ノ如キ決テ今日ノ風姿󠄁ニアラス豈一日モ軟弱󠄁以テ天下ニ示ス可ケンヤ朕󠄂今斷然其服󠄁制ヲ更󠄁メ其風俗ヲ一新シ祖󠄁宗以來?武ノ國體ヲ立ント欲ス汝近󠄁臣其レ朕󠄂カ意󠄁ヲ體セヨ

翌明治5年(1872年)、明治5年11月12日太政官布告第339号(大礼服及通常礼服ヲ定メ衣冠ヲ祭服ト為ス等ノ件)をもって文官と非役有位者の大礼服を含む服制が規定され、明治5年11月29日太政官布告第373号 (大礼服及通常礼服著用日ノ件) により着用規定が定められた。大礼服は当時ヨーロッパ宮廷での最上級正装として使用されていた宮廷制服(Court uniform)に倣って新たに定められた。第339号布告では、これらの大礼服に対して現代の正装であるホワイトタイの燕尾服が通常礼服とされた。


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