おおいしだまち
大石田町
大石田町立歴史民俗資料館
大石田町旗大石田町章
1961年7月11日制定
国 日本
地方東北地方
都道府県山形県
郡北村山郡
市町村コード06341-0
法人番号5000020063410
面積79.54km2
総人口5,868人 [編集]
(推計人口、2024年5月1日)
人口密度73.8人/km2
隣接自治体尾花沢市、村山市、最上郡舟形町
町の木カツラ
町の花サクラ
大石田町役場
町長[編集]庄司中
所在地〒999-4112
山形県北村山郡大石田町緑町1番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度35分38秒 東経140度22分22秒 / 北緯38.59383度 東経140.37267度 / 38.59383; 140.37267座標: 北緯38度35分38秒 東経140度22分22秒 / 北緯38.59383度 東経140.37267度 / 38.59383; 140.37267
外部リンク公式ウェブサイト
■ ― 市 / ■ ― 町・村
地理院地図GoogleBingGeoHack
MapFanMapionYahoo!NAVITIMEゼンリン
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
大石田町(おおいしだまち)は、山形県の北東にある人口約6千人の町。北村山郡に属する唯一の自治体。 町の東部、最上川の流域に発展した町で、役場や中心商店街も河川のすぐそばにある。町の西南の端に葉山がある。 かつては最上川の舟運で栄えた。延喜式によると、多賀城と秋田城とを結ぶ街道沿いに「野後駅」という駅があったが、その場所は長年、尾花沢市を含む北村山郡内のいずれかではないかと推定されていたが、詳しい場所は分からなかった。近年、町北部の最上川沿いにある「駒籠楯跡」において、掘立柱建物の遺構群が発見され、発掘調査を行っている山形県教育委員会では、この遺跡が「野後駅」であった可能性が高いとしている[1][2]。 大石田の南には、碁点、隼、三ヶ瀬の最上川三難所があり、物資を安全に運ぶためには、大石田河港で陸揚げし、三難所を避けて陸路運ぶ方がリスクが少なく、確実であった。舟運で上流部に運ぶ場合でも、三難所があるため、酒田港からの大型の川舟はここまでしか入れず、三難所を越えるために小型の舟に積み替える必要があり、いずれにしても大石田河港に舟を着けなければならなかった。そのため、大石田は最上川の港としては最大の物資の集積地として繁栄した。天領であり、大石田川船役所が置かれた。その輸送路は山形県村山地方や置賜地方のみならず、奥羽山脈を越えて仙台藩にまで至り、仙台城下に上方の物資をもたらした。 一方、最上川の対岸に当たる横山と田沢は新庄藩の飛び地であった。新庄藩の立藩から幕末まで一貫して新庄藩領であり、横山番所が置かれた。
地理
山: 葉山、 大高根山
河川: 最上川、丹生川、朧気川
歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行に伴い、北村山郡今宿村・大石田村の区域をもって大石田村が成立。
1897年(明治30年)1月23日 - 町制を施行、大石田町となる。
1955年(昭和30年)1月1日 - 北村山郡亀井田村・横山村と新設合併し、改めて大石田町が発足。
2020年(令和2年)7月29日 - 令和2年7月豪雨により最上川が氾濫。床上・床下浸水600戸以上。浄水場が水没したため町内のほぼ全域で断水[3]。同日付で他市町村とともに災害救助法が適用[4]。