大相撲優勝力士
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大相撲優勝力士一覧(おおずもうゆうしょうりきしいちらん)とは現在成績と番付がたどれる江戸時代からの江戸相撲本場所の幕内最高成績力士の一覧である。


目次

1 総説

1.1 優勝力士の決定方法

1.2 優勝回数

1.3 このセクションの注


2 優勝制度導入以前

2.1 宝暦年間(1757年 - 1764年)

2.2 明和年間(1764年 - 1772年)

2.3 安永年間(1772年 - 1781年)

2.4 天明年間(1781年 - 1789年)

2.5 寛政年間(1789年 - 1801年)

2.6 享和年間(1801年 - 1804年)

2.7 文化年間(1804年 - 1818年)

2.8 文政年間(1818年 - 1830年)

2.9 天保年間(1830年 - 1844年)

2.10 弘化年間(1844年 - 1848年)

2.11 嘉永年間(1848年 - 1854年)

2.12 安政年間(1855年 - 1860年)

2.13 万延年間(1860年 - 1861年)

2.14 文久年間(1861年 - 1864年)

2.15 元治年間(1864年 - 1865年)

2.16 慶應年間(1865年 - 1868年)

2.17 明治年間(1868年以降)


3 新聞社による掲額時代

3.1 1910年代まで

3.2 1920年代


4 個人優勝制度の正式導入

4.1 東西制時代

4.1.1 1920年代

4.1.2 1930年代


4.2 系統別総当たり時代

4.2.1 1930年代


4.3 ふたたび東西制

4.3.1 1940年代



5 優勝決定戦制度導入

5.1 東西制

5.2 系統別総当たり制

5.2.1 1940年代

5.2.2 1950年代

5.2.3 1960年代


5.3 部屋別総当たり制

5.3.1 1960年代

5.3.2 1970年代

5.3.3 1980年代

5.3.4 1990年代

5.3.5 2000年代

5.3.6 2010年代



6 関連項目


総説

大相撲の幕内最高優勝については、大きく3期に分けることができる。

まず、勧進相撲の中から自然発生的に始まった江戸時代から明治時代に至るまでは、いかなる形でも個人の成績優秀者への顕彰制度はなかった。しかし番付と星取は概ね完全な形で現存しているので、「当時から優勝制度が存在していたら表彰されていたであろう力士」を遡って推定することができる。

第2期は1909年6月場所以降である。この場所から常設の興行場所として両国国技館が開館して、当場所から新聞社による最高成績力士への優勝額の贈呈が始まった。一方で協会による表彰は同場所から始まった東西制によって優勝旗の授与が行われていたが、優勝旗手となるのは東西で勝ち越した片屋に所属しており、なおかつ関脇以下でなければならないため、全体での最優秀力士ではないことが多かった。

幕内最高優勝に対する公的な表彰は1926年1月場所から、天皇賜杯の下賜を機に始まった。東西制はその後廃止されたため、幕内最高優勝の力士が賜杯および優勝旗を授与されることとなり、名実ともに唯一の表彰対象となっている。
優勝力士の決定方法

原則は、勝ち数と負け数の差が一番多い力士を優勝としている。江戸時代においては勝負の他に引分預り無勝負が存在し、相手力士が当日休場した場合は自身も休場扱いとなり、また千秋楽は幕内力士は原則全員休場となる慣例もあった。これらの影響が優勝争いに影響を与える可能性があるため、前後して取り直し不戦勝を取り入れた。今日では休場した当人以外はほぼ勝ちと負けのみになるようになった。

勝敗差が同点の場合は番付上位者を優先していたが(番付上位者優勝制度)、1947年6月場所から優勝決定戦で同点者全員が対戦するようになり、番付下位者でも自力優勝のチャンスが生まれた。

江戸時代へ遡って推定するときには、優勝決定戦は当然行われていないので番付上位者を優勝相当とする。ただし、番付の東を上位とするのは東西制実施にあたっての決定であるので、そこへの配慮をしなければならないという意見[1]もある。
優勝回数

優勝回数は、慣例として優勝額贈呈開始以降を対象としており、本記事もそれに従っている。それ以前の優勝相当回数を含めると常陸山谷右エ門が6回、太刀山峯右エ門が2回分足すことができるが、ここでは含めない。
このセクションの注^ 『大相撲』1972年1月号の優勝力士総覧

優勝制度導入以前
宝暦年間(1757年 - 1764年)

場所地位四股名成績備考
1757年宝暦7年)10月番付が現存するのみで、勝敗記録は現存せず。
1758年(宝暦8年)3月
1758年(宝暦8年)10月
1759年(宝暦9年)3月
1760年(宝暦10年)10月
1761年宝暦11年)10月西前2戸田川7勝2敗 
1762年(宝暦12年)3月東大関荒瀧5勝0敗3休
1762年(宝暦12年)10月番付・勝敗記録共に現存せず。
1763年(宝暦13年)4月東関脇荒瀧6勝1分1休 
1763年(宝暦13年)10月西前2艫綱6勝1敗1分1休


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