大町
町丁
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度18分54秒 東経139度33分12秒 / 北緯35.314883度 東経139.553361度 / 35.314883; 139.553361
国 日本
都道府県 神奈川
市町村 鎌倉市
地域鎌倉地域
人口情報(2023年(令和5年)9月1日現在[1])
人口5,108 人
世帯数2,298 世帯
面積([2])
1.44 km²
人口密度3547.22 人/km²
郵便番号248-0007[3]
市外局番0467(藤沢MA)[4]
ナンバープレート横浜
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大町(おおまち)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字。現行行政地名は大町一丁目から大町七丁目。住居表示は一丁目?六丁目は実施済み区域、七丁目は未実施区域[5]。 小町大路の滑川にかかる夷堂橋以北を小町とし、以南を大町と呼称した。街の規模が小町に比べて大きかったので、大町と称したという。かつては現在の材木座、由比ヶ浜に至る一帯を指していた。 古代の東海道は鎌倉市中を通過しており、鎌倉時代には大町大路の若宮大路以西の部分(現由比ガ浜)が重複していたと考えられる。大町大路と小町大路の交差する地点一帯が、町屋(商店)が並ぶ商業地域であった。 吾妻鏡によると、承久2年(1220年)2月16日に火災が発生し浜辺まで類焼、また小町大路を北上し北条泰時邸の前まで延焼した。鎌倉幕府は建長3年(1251年)、文永2年(1265年)に町屋を大町、小町など7箇所に限定している。
地理・歴史
昭和14年(1939年)に鎌倉市の大字となり、昭和41年(1966年)に住居表示に伴い大町一丁目-七丁目となった。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、大町3-16-3の地点で25万8000円/m2となっている[6]。 2023年(令和5年)9月1日現在(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 丁目世帯数人口 国勢調査による人口の推移。 人口推移年人口
地価
世帯数と人口
大町一丁目430世帯816人
大町二丁目541世帯1,171人
大町三丁目385世帯843人
大町四丁目371世帯893人
大町五丁目287世帯663人
大町六丁目200世帯512人
大町七丁目84世帯210人
計2,298世帯5,108人
人口の変遷
1995年(平成7年)[7]5,519
2000年(平成12年)[8]5,443
2005年(平成17年)[9]5,497
2010年(平成22年)[10]5,529
2015年(平成27年)[11]5,422
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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