大田泰示
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大田 泰示横浜DeNAベイスターズ #0
2023年3月25日 ベルーナドーム
基本情報
国籍 日本
出身地 広島県福山市
生年月日 (1990-06-09) 1990年6月9日(33歳)
身長
体重188 cm
96 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
プロ入り2008年 ドラフト1位
初出場2009年6月21日
年俸5000万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


東海大学付属相模高等学校

読売ジャイアンツ (2009 - 2016)

北海道日本ハムファイターズ (2017 - 2021)

横浜DeNAベイスターズ (2022 - )

派遣歴


ヤキス・デ・オブレゴン (2023)

国際大会
代表チーム 日本
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

大田 泰示(おおた たいし、1990年6月9日 - )は、広島県福山市出身[2]プロ野球選手外野手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。
経歴
プロ入り前

広島県立三次高等学校投手であった父の影響を受け、物心ついた頃からキャッチボールを始め、福山市立川口小学校1年の時にソフトボールを始める[3][4]。5年からは軟式野球クラブ鞆古城クラブでプレー[5]

福山市立城南中学校2年時に秋の県大会で優勝。中学時代の所属クラブである松永ヤンキースでは上本崇司がおり、中学2年の時は三遊間、3年時はバッテリー(大田が投手)を組んでいた[6]。同年に元プロ野球選手が指導する野球教室に参加し、原辰徳からスイングを褒められたことで原の母校である東海大相模高等学校への進学を決める[7]

東海大相模高校では1年春から三塁手としてベンチ入り。1年秋には4番打者を務め、2年秋からは主将を務めた。3年春に遊撃手に転向。3年夏の第90回全国高等学校野球選手権北神奈川大会決勝では大会新記録となる5本目の本塁打を記録した。甲子園出場は果たせなかったものの、高校通算本塁打65本(うち満塁本塁打5本)、推定飛距離140メートルの本塁打を打つパワー、投手として最速147km/hの地肩の強さ、デレク・ジーターを彷彿とさせる大型遊撃手であることなどから、ドラフト上位候補としてスカウトの注目を集めた[8][9][10]。高校の同期に角晃多、1学年先輩には菅野智之田中広輔がいる。

当初は東海大学への進学を表明していたが、提出期限日にプロ志望届を提出[11]2008年度ドラフト会議にて読売ジャイアンツ福岡ソフトバンクホークスの2球団から1位指名を受け、抽選の結果、巨人が交渉権を獲得。契約金1億円、年俸1200万円(金額は推定)で仮契約。背番号は松井秀喜メジャーリーグ移籍以来「準永久欠番扱い」となっていた「55」に決まり[12]、選手寮では松井や坂本勇人らが使った部屋に入居[13]
巨人時代巨人時代

2009年は、キャンプから注目を集め、新人ながら原監督から打撃指導を受けた[14]。3月20日のイースタン・リーグ開幕戦に「3番・三塁手」としてスタメン出場。フェンス直撃の適時二塁打を打ち、公式戦初打点を記録。4月24日の湘南シーレックス戦にて公式戦初本塁打を記録。6月17日に初の一軍昇格。6月21日の千葉ロッテマリーンズ戦で代打として初打席に立ったが、三球で空振り三振に倒れた[15]。以降は二軍でプレーし、「4番・三塁」でスタメン出場した8月4日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で2回にダレル・ラズナーからバックスクリーン右へ11号同点ソロ、8回二死一塁の場面で吉崎勝から左中間へ12号2ランとプロ入り初の1試合2本塁打を打った[16]。ファームでは101試合に出場し、打率.238、17本塁打、56打点、16盗塁の成績を残した[17]

2010年は、6月12日と13日の福岡ソフトバンクホークス戦に「8番・一塁手」で先発出場したが、計6打数無安打に終わった。一軍での出場はこの2試合に終わった。一方、イースタン・リーグでは101試合に出場し、打率.265、本塁打21、打点70。本塁打と打点でリーグ2位を記録した[18]。10月23日から台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた[19]

2011年も開幕を二軍で迎えたが、5月16日に一軍昇格。5月18日の楽天戦で延長10回一死満塁の場面でプロ初安打を打ち、これが決勝2点適時打となった[20]。しかし、守備面の不安に加え、28打席4安打9三振と打撃でも結果を残せず一軍定着はならなかった。より打撃に専念するため、6月以降は二軍で外野手としてプレー[21]。一軍では12試合の出場に終わったがイースタン・リーグでは105試合に出場し打率.254、本塁打は6本と大きく減らし、三振はリーグ最多の109。一方で盗塁数はリーグ2位の28を記録した(盗塁死はリーグ最多の15)[22]。秋季キャンプにおいて外野手へのコンバートが正式に決まった[23]

2012年は、年始に阿部慎之助長野久義らと共にグアムで自主トレを行い[24]、春季キャンプから一軍に帯同。オープン戦では21打席連続無安打など絶不調ながら外野の一角として起用され[25]、自身初の開幕一軍入りを果たす[26]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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