大瀧詠一_(アルバム)
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この項目では、大滝詠一のアルバム「大瀧詠一」の1972年 (1972)のオリジナル盤と再発盤について説明しています。同アルバムの50周年記念盤については「大瀧詠一 乗合馬車 (Omnibus) 50th Anniversary Edition」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}大瀧詠一 > 大瀧詠一の作品一覧 > 大瀧詠一 (アルバム)

『大瀧詠一』
大滝詠一スタジオ・アルバム
リリース1972年11月25日 (1972-11-25)
録音目黒・モウリスタジオ
ジャンルJ-POP
レーベルBellwood ? KING
プロデュース大瀧詠一
チャート最高順位


75位(オリコン

大滝詠一 アルバム 年表

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大瀧詠一

(1972年 (1972))


NIAGARA MOON

(1975年 (1975))



『大瀧詠一』収録のシングル

恋の汽車ポッポ
リリース: 1971年12月10日 (1971-12-10)

「空飛ぶくじら」
リリース: 1972年5月25日 (1972-05-25)

はっぴいえんど 年表



風街ろまん / はっぴいえんど

(1971年 (1971))


大瀧詠一 / 大瀧詠一

(1972年 (1972))


HAPPY END / はっぴいえんど

(1973年 (1973))


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『大瀧詠一』(おおたきえいいち)は、1972年11月25日 (1972-11-25)に発売された大滝詠一通算1作目のスタジオ・アルバム
背景

はっぴいえんどのセカンド・アルバム『風街ろまん[注釈 1]は、1971年5月7日 (1971-05-07)からレコーディングが始まるが、細野晴臣の意向により8月3日、南正人のレコーディングで知り合った吉野金次がエンジニアとして参加することが決まった[1]。ここから『風街ろまん』の実質的なアルバム制作が開始され、「夏なんです」「風をあつめて」「花いちもんめ」が吉野ミキサーによって録音された。しかし、本格的に吉野で『風街ろまん』の制作が始まった頃、大滝詠一はほとんどの作品を梅津達男ミキサーの手によって既に仕上げていたため、吉野が手掛けた大滝作品は「春よ来い」のアンサー・ソングである「春らんまん」と、「いらいら」の続編である「颱風」のみとなった。そして「夏なんです」等の細野作品に大滝は全く参加していないため、スタジオで一人ヒマな時間が増えていった。そこで、この『風街ろまん』をキングレコードからリリースしたいと目論んでスタジオに日参していたディレクター三浦光紀との無駄話の時間が増えていった[2]

はっぴいえんどが在籍していたURCレコードは原盤制作会社でもあり、岡林信康のシングル盤は原盤供給という形でビクターから発売されていた。そして、1970年 (1970)の『第二回中津川フォークジャンボリー』のライブ盤の供給を受けたキングの担当が三浦だった。そこで、はっぴいえんどの原盤供給を受けたいということで、シングル「12月の雨の日/はいからはくち[注釈 2]がキングからシングル発売されることが決定した。しかし、普通の原盤供給であるなら、同じ音源を使用するのが通例だが、はっぴいえんどは、どうせ出すならばと、シングル・バージョンを再録することにした。しかし、このような前例がないため、その制作費をどこが持つのかという問題が発生し、原盤及び販売会社が困ったという。更に、一度録音した音源をボツにして、また録音し直したいというグループのわがままから、制作費の高騰という問題も起きた。そこでキング・スタジオが提供されることになり、キングはシングル発売にこぎつけたという[2]。そして、シングルに続いてアルバムもキングから出したいということになり、後に『風街ろまん』というタイトルになるはっぴいえんどの二枚目のアルバムのレコーディングは当初、キング・スタジオで始められた。ところが途中ではっぴいえんどはどうしてもURCが譲れないとなり、そこでキングとURCは「ソロならばキングから出してもいい」と新たなアイディアを持ち出し、その最初として大滝のソロ・アルバム制作が決まったというのが、本作の経緯だった。そして、その後は細野、鈴木茂という順番が予定されてもいたという[2][注釈 3]
録音、制作


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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