大澤 徳太郎(大沢、おおさわ とくたろう、1876年(明治9年)2月8日[1] - 1942年(昭和17年)5月20日[2][3])は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 大澤善助の長男[1]として京都に生まれる[2]。1888年(明治21年)11月、家督を継承[1]。1889年(明治22年)3月に同志社教会で新島襄から受洗[4]。1892年(明治25年)同志社を卒業し[3]、1910年(明治43年)[1]家業の機械金属、雑貨輸入業を営む大沢商会を継ぐ[2]。1919年(大正8年)同商店を株式会社化した[2]。ほか、相互運輸社長、日本レース会長、大洋自動車監査役、京都電灯、島屋各取締役、同志社大学理事、百貨店委員会委員などを務めた[3]。1925年(大正14年)に京都YMCA会長[4]、1929年(昭和4年)には第5代[5]京都商工会議所会頭に就任した[2]。 1932年(昭和7年)京都府多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1942年(昭和17年)5月20日の死去まで2期在任した[3][7]。在任中は研究会に所属した[3]。
経歴
親族
父:大澤善助(実業家)
長男:大澤善夫(映画プロデューサー、実業家)
脚注[脚注の使い方]^ a b c d 『大正人名辞典 第3版』1816頁。
^ a b c d e 上田ほか 2001, 346頁.
^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1960, 184頁.
^ a b 『日本キリスト教歴史大事典』 224頁
^ 『京都大事典』123頁。
^ 『官報』第1727号、昭和7年9月30日。
^ 『官報』第4609号、昭和17年5月25日。