この項目では、宮崎県・鹿児島県内を流れる河川について説明しています。山形県鶴岡市の地名については「大淀川 (鶴岡市)
」をご覧ください。大淀川
宮崎市内
水系一級水系 大淀川
種別一級河川
延長107 km
平均流量105.86 m³/s
(高岡観測所 2000年)
流域面積2,230 km²
水源中岳(鹿児島県)
水源の標高-- m
河口・合流先日向灘(宮崎県)
流域 日本
宮崎県・鹿児島県
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宮崎市祇園曽於市末吉町
大淀川(おおよどがわ)は、宮崎県・鹿児島県内を流れ太平洋(日向灘・フィリピン海)に注ぐ大淀川水系の本流であり宮崎県を代表する河川である。 都城盆地外延部の金御岳(鹿児島県曽於市末吉町南之郷)南麓に発し、都城市を経て山地内を穿ちつつ東へ向かう。宮崎平野を流れ宮崎市都心部の南で日向灘に注ぐ。 「森づくりから風土づくりへ大淀川流域住民プロジェクト」で、平成24年度国土交通省手づくり郷土賞受賞 明治初期までは流域ごとに別の名称が使用されていた。例として河口部(宮崎市街地)では赤江川か赤井川、宮崎市跡江辺りでは大川、宮崎市高岡町付近では左流川(さるかわ)、都城では竹之下川と呼ばれていた[1][2]。 しかし、全国的には江戸時代中期の日本地図に大淀川の名がみられ、地元にも町村制施行(1889年)までに定着していった。大淀村(1924年に宮崎町・大宮村と合併、現在の宮崎市大淀地域自治区・大塚地域自治区)の住民が「大淀」と命名した理由として「大淀川の南側に位置すること」を挙げていたという。 河口部の「赤江川」については2つの説がある[3]。 高岡町の「左流川」についても2つの説がある。なお、上井覚兼日記では「佐理川」「さり川」と書かれており、現在の地名は「去川」である[4]。 都城の「竹之下川」(たけのした)は地名に由来し、昔には「岳之下」とも書かれた。城山 自治体名は流域の市町村。
地理
過去の名称
語源」から「小戸川」(おどかわ)と呼ばれ、のちに転訛して「大淀川」となった説。
大阪の淀川に「大」を冠して「大淀川」になった説。
大淀川は広くて深い川という説。
小戸・大渡の渡しから名付けられたという説。
大淀川河口に「可愛」(かえ)という入り江があって大淀川とつながっており、川の名前も「可愛川」と呼んだ。それが訛って赤江川になったという。
「那珂江」(なかえ)が「赤江」(あかえ)に訛ったとの説もある。
薩摩街道は、ここで大淀川から去って山道に入るので、「去川」となったという説。
ここには薩摩藩の関所が置かれ、大変厳しい取調べがなされたと言われる。その関所から見て、大淀川が左を流れているから「左流川」といったという。
流域の自治体
宮崎県
都城市、小林市、宮崎市
鹿児島県
曽於市
支流
桜谷
湯之尻川
村山川
迫下川
梅北川
萩原川
高畑川(小鷺巣川と合流し萩原川になる)
小鷺巣川(高畑川と合流し萩原川となる)
寺柱川
崩川
安久川
姫城川
年見川
柳河原川
横市川
沖水川
網目川
椎八重川
内之木場川
庄内川(しょうないがわ) - 都城市。延長24.6kmの一次支流であり流域に日本の滝百選の関之尾滝がある。
千足川(溝ノ口川と合流し庄内川となる)
荒川内川(荒襲川合流し千足川となる)
荒襲川(荒川内川と合流し千足川となる)
田野川
湯穴
大塚川
溝ノ口川(千足川と合流し庄内川となる)
木和田川
粟谷川
吉ヶ谷川
瓶臺川
倉掛川
小田川
大谷川
東岳川
花木川
富吉川
樋口川
木之川内川
丸谷川
高崎川
有水川
永野川