碧南駅*
駅舎と待合所(2024年3月)
へきなん
HEKINAN
◄MU10 碧南中央 (1.6 km)
所在地愛知県碧南市中町五丁目48.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度52分25秒 東経136度59分8秒 / 北緯34.87361度 東経136.98556度 / 34.87361; 136.98556
碧南駅(へきなんえき)は愛知県碧南市中町五丁目48にある、名鉄三河線の駅。駅番号はMU11。
三河線の終着駅。2004年(平成16年)4月までは吉良吉田まで線路が延びていた。manacaが使用可能である。
本項ではかつて当駅から分岐していた大浜口支線(おおはまぐちしせん)についても記述する。 島式1面2線ホームを持つ地上駅。終着駅であるが駅集中管理システム(管理駅は知立駅[11])による駅員無配置駅となっており、知立駅から遠隔管理されている。 現在の駅舎は2019年(平成31年)3月に建設された[8]。一方、改札外に隣接する待合室は駅周辺整備事業の一環として碧南市が建設したもので、2020年(令和2年)9月1日より供用を開始した[9]。駅舎とデザインの統一感を持たせるため黒を基調とした外観で、屋根には三州瓦を使用している。待合室内には地元業者から寄贈された陶磁器製の椅子とテーブルが4組設置されたほか[9]、トイレ、自動販売機、特産品展示ショーケースなどを備える[12]。 待合所完成後は駅前広場の改良が行われ、2024年(令和6年)3月5日より供用を開始した。広場の中央には一般車両乗降場が新設された(送迎など一時利用用途のものであり駐車場ではない)[10]。 のりば番線路線行先 碧南駅 構内配線略図 ←
歴史
1914年(大正3年)2月5日 - 三河鉄道の大浜港駅(おおはまみなとえき)として開業。当初は終着駅[1]。
1915年(大正4年)11月29日 - 大浜臨港線(後の大浜口支線)延伸開業。途中駅となる[2]。
1926年(大正15年)9月1日 - 当駅 - 神谷駅(後の松木島駅)間延伸開業(吉良吉田までの延伸は、1928年8月25日)。
1941年(昭和16年)6月1日 - 三河鉄道が名古屋鉄道に合併。同社三河線の駅となる。
1944年(昭和19年)12月7日 - 昭和東南海地震により駅舎被災[3]。
1946年(昭和21年)8月1日 - 大浜口支線廃止[4]。
1947年(昭和22年) - 2代目駅舎竣工[5]。
1954年(昭和29年)4月1日 - 碧南駅に改称[1]。
1977年(昭和52年)5月25日 - 貨物営業廃止[6]。
2004年(平成16年)4月1日 - 当駅・吉良吉田駅間廃止に伴い終着駅となる[1]。廃止区間に代替バス(ふれんどバス)が運行開始。
2005年(平成17年)
8月 - 駅集中管理システムを導入、無人駅に[7]。
9月14日 - トランパス導入。
2011年(平成23年)2月11日 - ICカード乗車券「manaca」供用開始。
2012年(平成24年)2月29日 - トランパス供用終了。
2019年(平成31年)3月 - 3代目駅舎竣工[8]。
2020年(令和2年)
7月 - 碧南駅待合所竣工[9]。
9月1日 - 碧南駅待合所供用開始[9]。
2024年(令和6年)3月5日 - 名鉄碧南駅西駅前広場供用開始[10]。
初代駅舎
(昭和10年代)
2代目駅舎
(2014年5月)
3代目駅舎
(2019年4月)
駅構造
1・2MU 三河線(海線)[13][14][注釈 1]知立ゆき[16]
ホーム
留置線
駅名標
碧南市特産品のショーケースと待合所
配線図
刈谷・
知立方面 →
吉良吉田方面
(廃止)
凡例
出典:[17]
利用状況
『名鉄120年:近20年のあゆみ』によると2013年度当時の1日平均乗降人員は3,701人であり、この値は名鉄全駅(275駅)中116位、 三河線(23駅)中10位であった[18]。
『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は2,883人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中146位、 三河線(38駅)中14位であった[19]。