大津藩(おおつはん)は、近江国(現在の滋賀県大津市)に存在した藩。居城は大津城[1]。 文禄4年(1595年)、豊臣秀吉の家臣である京極高次が6万石で入部した。高次は浅井長政に仕えていたが、天正元年(1573年)に織田信長によって浅井氏が滅亡したため、信長の家臣となった。天正10年(1582年)、本能寺の変において明智光秀に与したために光秀の敗死後に秀吉の怒りを買って追放されたが、かつて武田元明の妻であり、高次にとっては妹にあたる松の丸殿が秀吉の側室となると罪を許されて秀吉の家臣となっていた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは当初は西軍に与して石田三成ら西軍の動向を東軍に密告していた。しかし高次は9月15日の本戦直前になって東軍に与して大津城に籠城する。高次の正室は常高院(於初)で、徳川秀忠の正室・於江の姉だったという関係があり、秀吉の側室になった姉の淀殿よりも於江と仲が良かった。このため、大津城は立花宗茂や末次元康の猛攻を受けて開城を余儀なくされた。しかしこの大津城攻防戦のため、西軍にとって貴重な戦力であった宗茂の軍勢は9月15日の本戦に参加することができなかった。大津城落城後、高次はその敗戦を恥じて高野山に上ったが、家康は宗茂を引きつけていた高次の功績を高く評価して新たに召し出し、若狭国小浜藩8万5000石に加増移封した。 関ヶ原の戦いの翌年(1601年)、大津には家康譜代の家臣・戸田一西(左門)が3万石で入ったことから立藩した。しかし同年、大津は城としてふさわしくないという理由から、家康の命令で天下普請のもと、膳所城が築かれ、一西は膳所藩に移ることとなった。ここに大津藩は廃藩となった。 譜代。3万石。
概要
歴代藩主
戸田家
戸田一西(かずあき)
脚注^ 二木謙一監修・工藤寛正編『国別 藩と城下町の事典』東京堂出版、2004年9月20日発行(397ページ)
歴
江戸時代末期から廃藩置県までに存在した藩(1867年 - 1871年)
北海道地方松前藩(館藩)
東北地方
黒石藩
弘前藩
八戸藩
●○盛岡藩(白石藩 → 盛岡藩)
盛岡新田藩(七戸藩)
一関藩
久保田藩(秋田藩)
秋田新田藩(岩崎藩)
亀田藩
本荘藩
★矢島藩
出羽松山藩(松嶺藩)
仙台藩
鶴岡藩(大泉藩)
新庄藩
○長瀞藩(大網藩 → 龍ヶ崎藩)
天童藩
○山形藩(朝日山藩)
上山藩
米沢藩
▲米沢新田藩(米沢藩)
○福島藩(重原藩)
二本松藩
○会津藩(斗南藩)
中村藩
三春藩
○守山藩(松川藩)
磐城平藩
湯長谷藩
泉藩
○白河藩(棚倉藩)
関東地方
沼田藩
館林藩
伊勢崎藩
前橋藩
高崎藩
安中藩
●吉井藩
七日市藩
小幡藩
大田原藩
黒羽藩
○高徳藩(曾我野藩)
●喜連川藩
烏山藩
宇都宮藩
壬生藩
吹上藩
佐野藩
足利藩
水戸藩
宍戸藩
笠間藩
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下館藩
下妻藩
常陸府中藩(石岡藩)
★志筑藩
土浦藩
○谷田部藩(茂木藩)
牛久藩
麻生藩
結城藩
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高岡藩
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北陸・甲信地方
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岩村田藩