大河原雅子
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日本政治家大河原 雅子おおかわら まさこ
2019年12月撮影
生年月日 (1953-04-08) 1953年4月8日(71歳)
出生地 日本 神奈川県横浜市
出身校国際基督教大学教養学部社会科学科
前職映画・舞台製作会社社員
参議院議員
現職衆議院議員
所属政党(東京・生活者ネットワーク→)
民主党→)
民進党→)
旧立憲民主党→)
立憲民主党菅直人G
称号教養学士
公式サイト ⇒衆議院議員 大河原まさこ
衆議院議員
選挙区(比例北関東ブロック→)
比例東京ブロック東京21区
当選回数2回
在任期間2017年10月27日 - 現職
参議院議員
選挙区東京都選挙区
当選回数1回
在任期間2007年7月29日 - 2013年7月28日
東京都議会議員
選挙区世田谷区選挙区
当選回数3回
在任期間1993年 - 1997年
1999年 - 2005年
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大河原 雅子(おおかわら まさこ、1953年(昭和28年)4月8日 - )は、日本政治家立憲民主党所属の衆議院議員(2期)、立憲民主党ジェンダー平等推進本部長。

参議院議員(1期)、東京・生活者ネットワーク代表委員、東京都議会議員(3期)等を歴任した。
来歴

神奈川県横浜市生まれ[1]横浜市立城郷小学校フェリス女学院中学校・高等学校国際基督教大学教養学部社会科学科卒業[2]。大学卒業後、黒澤明の下で助監督や作品のプロデューサーを務めた松江陽一の映画・舞台製作会社「アトリエ41」に入社した[2]1979年に結婚して千葉県柏市に転居し、この時期に生活協同組合に加入した[2]1988年東京都世田谷区に転居し、東京都に食品安全条例の制定を求める直接請求運動に参加して以来、環境問題等の活動に関わる[2]

1993年東京都議会議員選挙世田谷区選挙区(定数8)から東京・生活者ネットワーク公認で出馬し、初当選[2]1997年東京都議会議員選挙で再選を目指したが、得票数10位で落選した[3]1999年、東京都議会議員補欠選挙に生活者ネット公認で出馬し、再選。同年、生活者ネットの代表委員に就任し、2006年まで約7年間務めた[2]2001年東京都議会議員選挙に生活者ネット公認で世田谷区選挙区から出馬し、得票数3位で3選[4]2005年東京都議会議員選挙には出馬しなかった。
参議院議員

2007年第21回参議院議員通常選挙東京都選挙区(定数5)から民主党公認(生活者ネット推薦)で出馬し、2位の山口那津男公明党)に約29万2千票の大差をつけ、約108万票を獲得してトップ当選した[5]。民主党では菅直人が会長を務める国のかたち研究会に所属した。

2009年5月11日、小沢一郎が民主党代表辞任を表明[6]。小沢の辞任に伴う代表選挙(5月16日投開票)では岡田克也の推薦人に名を連ねた[7]

2010年9月の民主党代表選挙では、現職の菅首相の推薦人に名を連ねた[8][9]

2013年第23回参議院議員通常選挙にも、引き続き民主党公認で東京都選挙区(定数5)からの出馬を目指していたが、野党転落後の民主党の支持率は低迷しており、同年6月28日海江田万里代表が東京都選挙区の公認候補を現職の大河原、鈴木寛のうち、党の情勢調査で優位ないずれか1人に一本化する方針を表明[10]。情勢調査は鈴木が優位であったため、民主党本部は大河原に比例代表への転出を打診したが、大河原がこれを拒否したため、7月2日に民主党本部は東京都選挙区の候補を鈴木に一本化し、大河原の公認を撤回した[11][12]。公認を取り消された大河原は、民主党籍を残したまま東京都選挙区から無所属で出馬する意向を表明し[12][13]、選挙戦では菅直人元首相も、党本部の公認に逆らい大河原を支援[14]。唐突な公認撤回には、大河原の出身母体でもある生活者ネットからも批判の声が上がり、大河原を推薦していた連合東京も、推薦を支援に格下げしながらも応援は続ける考えを示し、事実上の分裂選挙に突入[15]。結果、鈴木は得票数6位で次点、大河原は得票数9位で、民主党は無所属の大河原も含めて1議席も獲得できず惨敗した(なお鈴木、大河原の得票数を合計した場合、3位の吉良佳子日本共産党)を上回る)[16][17]

2016年第24回参議院議員通常選挙民進党公認で比例区から出馬したが、落選した[18][19]
衆議院議員


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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