大河原邦男
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おおかわら くにお
大河原 邦男
2015年、第28回東京国際映画祭にて
別名義松田 豪(まつだ ごう)
生年月日 (1947-12-26) 1947年12月26日(76歳)
出生地 日本東京都稲城市
職業メカニックデザイナー工業デザイナー
ジャンル玩具アニメーションゲーム
活動期間1972年 -
主な作品


タイムボカンシリーズ

ガンダムシリーズ

勇者シリーズ

 受賞


第16回文化庁メディア芸術祭 功労賞

第14回東京アニメアワード 功労賞


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大河原 邦男(おおかわら くにお[注 1]1947年12月26日 - )は、日本のメカニックデザイナー[2]。日本のメカニックデザイナーの草分け的存在で、『機動戦士ガンダム』に登場するモビルスーツのデザインで知られる[3][4]

東京都稲城市出身[2]。息子はアニメーターの大河原烈[要出典]。
人物

日本のアニメーション作品で初のメカニック専門のデザイナー[3][4]。代表作は『科学忍者隊ガッチャマン』、『ヤッターマン』をはじめとするタイムボカンシリーズ、『機動戦士ガンダム』とそのシリーズ、『装甲騎兵ボトムズ』、『勇者王ガオガイガー』を含む勇者シリーズなど多数[4]。特に『機動戦士ガンダム』が起こした大ブームにより、自身の名前と「メカニックデザイナー」という職種が社会に認知された。
略歴

実家が機械を扱う仕事を代々営んでいたことから建設機械等を頻繁に見かける環境に育ち[5]、子供の頃から機械や物を作るのが好きだった[6][7]。そのため、家の倉庫にある機械部品を遊び道具代わりに工作に励む少年時代を過ごした[8][7]

東京都立町田高等学校卒業後、東京造形大学グラフィックデザイン科に入学。1年後にテキスタイルデザイン科に転科し、機織や染め物などを学ぶ[4]

卒業後、オンワード樫山に入社し、紳士服の企画を担当[9][10]。その後、キムラタンに転職し、子ども向けブランド「おとぎの国」の企画を担当するが、東京支店の企画部廃止で専門店向け営業職となる[4]。同僚の女性との結婚を機に、「同じ職場に二人ともいるのは不都合があるのでは」と考えて会社を辞める[9]

1972年、新聞広告の求人欄を見てタツノコプロに応募し、美術課に背景を描く係として採用される[2][9][注 2]。きっかけは結婚式で仲人に無職と紹介されるのが心苦しかったため。入社の決め手は妻の実家に近かったことだった[6]。アニメや漫画に興味がなかったので、アニメの制作方法も知らなかった[11]

入社してすぐに『科学忍者隊ガッチャマン』のメインスタッフとなり、番組タイトルロゴを手掛ける[12]。そして美術のかたわらメカデザインも担当していた上司の中村光毅[注 3]に「メカデザインをやってみないか」と声をかけられ、メインメカ以外の敵メカや自動車などの乗り物などをすべて任される[4][9]。番組エンディングでは中村と共に「メカニックデザイン」とクレジットされ、アニメ業界で初のメカ専門のデザイナーとなる[3][13]

1976年、タツノコプロを退社して中村と「デザインオフィス・メカマン」を設立する[2][9]。フリー後初仕事の『ゴワッパー5ゴーダム』で、初めてメインメカのデザインを担当した[1]タイムボカンシリーズ第2作『ヤッターマン』で中村のデザインしたメインメカ以外のすべてのメカを担当[12]。これ以降、すべてのシリーズ作品を担当した[注 4]

1978年、メカマンを退社してフリーランスとなる[2][9]。転職したタツノコ時代の知人に声をかけてもらい、『無敵鋼人ダイターン3』からサンライズ制作作品に本格的に参加するようになる[9][注 5]。続いて参加した『機動戦士ガンダム』がプラモデルの大ヒットにより社会的ブームとなり、以降、メカニックデザイナーという職種が広く認知されるようになった[9][15]。『太陽の牙ダグラム』『装甲騎兵ボトムズ』では高橋良輔監督と組んでミリタリー系のリアルロボットを追求[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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