この項目では、俳優の大沢樹生について説明しています。フリーアナウンサーの大澤幹朗については「大澤幹朗」をご覧ください。
おおさわ みきお
大沢 樹生
本名大澤 樹生(読み同じ)[注 1]
生年月日 (1969-04-20) 1969年4月20日(54歳)
出生地 日本 東京都文京区本郷
身長176cm
血液型A型
職業歌手、俳優
活動期間1982年 -
活動内容1983年:イーグルス
1987年:光GENJI
配偶者喜多嶋舞(1996年 - 2005年)
一般人女性(2008年 - )
事務所ミキオオフィス
公式サイトhttps://mikio.co.jp/
受賞
日本映画プロフェッショナル大賞
新人奨励賞
1995年『日本製少年』
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大沢 樹生(おおさわ みきお、1969年4月20日 - )は、日本の俳優であり、男性アイドルグループ・光GENJIの元メンバーで愛称はミッキー。東京都文京区本郷出身[1]で、ほどなく江東区大島に転居。映画監督や、所属事務所である株式会社ミキオオフィスの代表取締役社長も務めている。 東京富士幼稚園、江東区立第四大島小学校、江東区立第二大島中学校、江東区立第四大島中学校を経て、明治大学付属中野高等学校定時制中退、2011年3月ウィッツ青山学園高等学校(現神村学園高等部伊賀分校)通信制卒業[2]。 身長176cm、体重63kg、血液型A型。足のサイズ26cm。
人物
経歴
姉が履歴書を送ったことで、小学校6年生の3学期だった1982年(昭和57年)1月17日に行われたオーディションに合格し、ジャニーズ事務所に入所。同期生には元忍者の正木慎也がいる。
1983年(昭和58年)3月25日、ジャニーズJr.内ユニット「イーグルス」のメンバーとしてレコードデビュー。しかし、同グループは後に自然消滅。その後は、NHK『レッツゴーヤング』のレギュラーとなり、「サンデーズ」の一員として活動していた。
1987年(昭和62年)8月19日、内海光司と共に光GENJIのメンバーとして再びレコードデビューを果たす。デビュー当時18歳であったが、20歳と2歳年上にサバを読んでいた(その後すぐにしなくなる)。
1994年(平成6年)8月31日、佐藤寛之と共に光GENJIを脱退、ジャニーズ事務所を退社。翌1995年(平成7年)に個人事務所「サクセス」と、ファンクラブ「MOST」を立ち上げた。俳優業の他に、ソロアイドルとしてもシングルやアルバムを数枚リリースした。
1996年(平成8年)に喜多嶋舞とできちゃった結婚(当時、妊娠3か月。翌年の1月に男児出産)するが、2005年(平成17年)9月20日に離婚。なお、息子の親権は喜多嶋側にあったが、2007年(平成19年)4月より大沢が親権を持った。しかし2013年(平成25年)12月、DNA型鑑定により大沢との父子確率0%が判明したため[3][4]、喜多嶋側に再び親権が移り[5]、喜多嶋の母親で女優の内藤洋子の許で育てられることになった[6]。
2006年(平成18年)11月、自らが経営する芸能事務所・ドリームフォープロモーション(現:ミキオオフィス)を立ち上げた。
2007年(平成19年)8月、初プロデュース作品「怪談牡丹灯篭もっともっと愛されたかった」公開。
2008年(平成20年)4月26日、15歳年下の一般人女性と再婚[7]。同年6月、アパレルブランド「STREET STAR」を立ち上げた。
2008年(平成20年)11月、自叙伝『昨夜未明、大沢樹生が死にました…』(カンゼン刊)を出版。
2009年(平成21年)7月21日、日本テレビ系『有名人が集まる結婚相談所』に妻と出演。山本淳一がサプライズで登場。約15年ぶりに光GENJIメンバーとのTV共演となった。
2010年(平成22年)『水戸黄門』第41部で、レギュラー出演(虚空無幻斎 役)。