大江慎也
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大江慎也

基本情報
出生名上野 慎也
生誕 (1958-09-30) 1958年9月30日(65歳)
出身地 日本 福岡県北九州市若松区
学歴福岡県立東筑高等学校卒業
ジャンルロック
職業シンガーソングライター
俳優
担当楽器ボーカル
ギター
ハーモニカ
活動期間1980年 -
レーベルYAMAHA creage(2006年 - )

大江 慎也(おおえ しんや、1958年9月30日 - )は、日本のミュージシャン。1980年代に主に活動したバンド「ルースターズ」のボーカリストとして知られる。
略歴
幼少期

公務員の父と小学校教諭の母の下、出生名「上野 慎也」として福岡県北九州市八幡西区黒崎の八幡厚生年金病院で生まれ、同市若松区で育つ。両親のことを「お父様」「お母様」と呼ぶようしつけられて育ち、幼稚園の時にはヴァイオリンを習い、3歳の時には英語のアルファベットを覚えて言えるようになっていた[1]

9歳の時、父の愛人問題が原因で両親が離婚したため母方の籍に入り、大江慎也となる[2]。以後は教員として働く母に育てられた。小学校時代は学業やスポーツや図画工作に秀でた人気者だったが、両親の離婚で苗字が変わったことがきっかけでいじめを受けるようになる[3]

緑ヶ丘幼稚園、北九州市立二島小学校を経て、熊本にあるカトリック系の中高一貫校である熊本マリスト学園中等部[4]に進む。同校では級長と副級長を務めたが、複数の先輩から同性愛の相手として言い寄られ[1]、やがて寮生活の厳しさに疲れると共に勉強漬けの生活に嫌気がさし、1年で自主退学。

北九州市立向洋中学校に転入学した頃から、ビートルズローリング・ストーンズヴェルヴェット・アンダーグラウンドドアーズT・レックスなどを聴くようになる[1]。卒業後は福岡県下で有数の進学校である福岡県立東筑高等学校に進む。このころ、中学の同級生が組んだアマチュアバンド「薔薇族」にギタリストとして参加。中学と高校では楽器を持ち、ジミ・ヘンドリックスの「リトル・ウィング」をコピーして楽しんでいた[1]。後にルースターズでドラムを担当する池端潤二は「薔薇族」の頃からのメンバーだった。

高校時代は勉強しなかったにもかかわらず最初は成績優秀で、「IQが試験の測定値のトップレベルを遥かに上回っている」と教師から告げられたこともあり[5][1]九州大学広島大学東京大学の受験を考えていた。しかしその後、化粧して学校へ行ったり、突然早退したり、中退を希望して1ヶ月休学したりするようになり、最終的には「大学を卒業しても結局普通の仕事に就くならあまり意味がない」と考え、大学進学をやめて音楽の道に進む[6]
ルースターズ時代

薔薇族、人間クラブを経て1979年11月にルースターズを結成。ボーカル・ギターを担当する。1980年にルースターズとしてコロムビアよりデビュー。1982年、石井聰亙監督の映画『爆裂都市 BURST CITY』にて俳優デビュー。劇中の架空のバンドであるバトル・ロッカーズのギタリスト、フライング風戸役として出演した。

しかしその年の10月、『ニュールンベルグでささやいて』を録音し終えた後、ジャケット撮影をしたスタジオの壁に、笑みを浮かべつつ頭を打ちつけるなどの奇行が母に心配されて精神科を受診[7]神経衰弱により初めて精神科に入院。ライブはキャンセルを余儀なくされ、1983年6月までの半年近くにわたり音楽活動を休止した[8]。その後バンドに復帰するも精神的不調は改善されず、メンバーの入れ替わりも激しくなる。1985年3月に帰郷し福岡の精神科に入院[9]。音楽活動の休養を余儀なくされる。当時は大江に無断で「ルースターズからの脱退」とアナウンスされた。退院後は1年間ほど自宅療養の日々を過ごす。
脱退後

1987年、ソロデビュー。このころ結婚(のち離婚)。アルバイトで家庭教師や皿洗いをする[10]。その他、運送会社の仕分けや中華料理店の調理の手伝い、便所掃除、新興住宅地の便槽掘りなどをしたこともある[5]。1990年には「大江慎也+ONES」を結成。

2000年、福岡県遠賀郡岡垣町の母の家で暮らしていた時、激しい下血により救急車病院に運ばれ、重度の潰瘍性大腸炎との診断を受け、大腸を全摘出され、人工肛門を形成する[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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