大気汚染(たいきおせん)とは、大気中の微粒子や有害な気体成分が増加して、人の健康や環境に悪影響をもたらすこと。人間の経済的・社会的な活動が主な原因である。自然に発生する火山噴火や砂嵐、山火事なども原因となるが、自然由来のものは大気汚染に含めない場合がある[1][2]。 世界保健機関(WHO)は2018年の推計で、世界では大気汚染を原因として呼吸器疾患などで年間約700万人が死亡しており、世界人口の約90%が健康被害の恐れがあるレベルの大気汚染に曝されているとの推計を示している。ただ、2022年では、約670万人に減っている。[3]特に都市部を中心に汚染が悪化しており、経済協力開発機構(OECD)は2012年、「2050年には大気汚染による死者が水質汚染による死者を上回って環境悪化による死者の最大の要因になるだろう」と予測している[4]。発展途上国では薪の利用が多い事などから屋外よりも室内の汚染(室内空気質(室内大気質)の汚染。なお、単に大気汚染という場合は主に屋外の汚染を指す。)の方がリスクが高く[5]、都市部ではこれに都市化による屋外汚染が加わる形になっている[4]。室内汚染による死者は、国際エネルギー機関(IEA)の報告書によると2016年時点で年間350万人である[6]。 大気汚染について述べた最も古い部類の文献としては、西暦61年に古代ローマのセネカが都市の煙や悪臭を嘆いた記述がある[7][8]。重苦しい都市の空気、そして、煮炊きが始まると、 イギリスのロンドンでは9世紀半ばに既に「空気の悪さ」が知られていた。発展する工業や家庭用暖房の燃料として石炭の使用の増加により、大気汚染が進んで人体への影響が問題になり、1273年には健康を害するものとして石炭の使用を禁止。1306年には職人が炉で石炭を焚くこと(業務用)を禁止した。しかし、代替燃料が無かったため長続きせず、街の発展や人口の増加とともに深刻化していった。16世紀には、感染症や大火とともに大気汚染が大きな問題となった。当時の女王エリザベス1世は、議会の開催中にロンドン市内で石炭を燃やすことを禁止する命令を出している。また、17世紀後半の国王ウィリアム3世がロンドン市街の大気汚染を避けて、当時はまだ郊外であったケンジントン宮殿に移るなど、依然として汚染は続いた[2][7][8][10]。工場地帯の煙突群と煙、19世紀後半工場の煙突と立ち上る煙、1942年 18世紀半ばのイギリスでは、産業革命によって工業化が急速に進み、ロンドンでは19世紀に入ると、汚染の酷い時期の「死者の増加数」が発表されるほど大気汚染は深刻化した。1905年には医師H. A. デ・ボーがロンドンの大気汚染に対してsmoke(煙)とfog(霧)を合成したsmog(スモッグ)という言葉を初めて用いた[2]。以下、20世紀前半からの世界の大規模な大気汚染の事例を挙げる。
概要
歴史
大気汚染の顕在化
蒸気とスズが入り混じる破滅的な煙をどっと吐き出す
台所。あの恐ろしい悪臭から逃れるいや否や、
私の健康がたちまち回復するのを感じた。 セネカ、61年[9]
1910年代の1910年から1920年のロンドンでは、市街地の煤塵の降下量が1km2当たり年間200トン(1日で1m2当たり0.6gに相当する)に達した[2]。
1930年12月 ベルギーのマース川沿いの町エンギス(Engis
1944年頃から アメリカ合衆国ロサンゼルスで、眼、鼻、気道などの粘膜の持続的・反復性刺激を伴う「白いスモッグ」による大気汚染が発生し始めた。当初は原因物質が何であるかよく分からなかったが、後に光化学オキシダントによるものと判明し、光化学スモッグという言葉が生まれた。ロサンゼルスは盆地状の地形で汚染物質が滞留しやすく、高気圧下で風の弱かった1951年夏には高齢者約400人が死亡している。対策は行われているが、21世紀に入ってからも続いている[2][10]。
1948年10月 アメリカのペンシルバニア州ドノラ(Donora)で、工場排気による汚染が発生、人口14000人中43%が重軽傷を負い、18人が死亡した。後に、無風状態が続いたことや川沿いの谷状の地形であったことが汚染物質を滞留させ、被害を大きくしたと分析されている[2][10]。(ドノラ事件(英語版))
1950年11月 メキシコのベラクルス州ポザリカ(Poza Rica)で、ガス工場の事故により大量の硫化水素ガスが漏れ出し、住民22000人中22人が死亡した。後に、盆地の中で弱風状態にあったことや霧が発生していたことが被害を大きくしたと分析されている[2][10]。
1952年12月 ロンドンで二酸化硫黄(亜硫酸ガス)を多く含んだ濃いスモッグが5日間にわたって停滞、約4,000人の死者を出した。これを契機としてイギリスでは大気浄化法が制定された[2][10]。1962年1月にも同様の大規模なスモッグが発生し、この時は数百人が死亡した[2]。(ロンドンスモッグ)
1984年12月2日 - 3日 インドのマディヤ・プラデーシュ州ボパールの化学工場で、作業ミスにより有毒ガスのイソシアン酸メチルが約2時間にわたり計40トン流出、風で市街地に流れて滞留し住民に健康被害をもたらした。死者は14,000 - 20,000人、被害者は35 - 40万人とされ、家畜の牛4,000頭も死亡、後遺症も報告されている。汚染物質の比重が重かったことや大気の混合度が低い深夜であったこと、適切な対応がとられず住民が避難できなかった事などが被害を拡大させた[12]。(ボパール化学工場事故)
2013年1月10日頃より、中華人民共和国の首都北京を中心とする華北の広範囲で高濃度汚染(スモッグ)が発生し、2月初旬までの3週間に亘って継続した。その間の最も汚染が酷かった1週間には、華北から中原さらに華東経て雲貴高原にまで至る国土の約3分の1(後日の発表では4分1とも言われている)で高濃度汚染(スモッグ)の発生が確認され、1月28日には中国主要74都市の約半分で空気質指数が最悪の「深刻な汚染」レベルに達した[13][14]。