大気汚染(たいき おせん)とは、大気中の微粒子や有害な気体成分が増加して、人の健康や環境に悪影響をもたらすこと。人間の経済的・社会的な活動が主な原因である。自然に発生する火山噴火や砂嵐、山火事なども原因となるが、自然由来のものは大気汚染に含めない場合がある[1][2]。 国際エネルギー機関(IEA)によると、2016年時点で年間650万人が大気汚染により死亡している[3]。特に都市部を中心に汚染が悪化しており、経済協力開発機構(OECD)は2012年、「2050年には大気汚染による死者が水質汚染による死者を上回って環境悪化による死者の最大の要因になるだろう」と予測している[4]。 世界保健機関(WHO)の2018年5月2日の発表では、世界人口の約90%が汚染された大気の下で暮らし、それが原因で年間700万人が死亡しているとの推計を示した[5]。 なお、大気汚染は主に屋外における大気の汚染を指す。室内における大気(空気)の汚染は「空気質(大気質)の汚染」「空気質(大気質)の悪化」などという。発展途上国では薪の利用が多い事などから屋外汚染よりも室内汚染の方がリスクが遥かに高いとされる一方[6]、都市部ではこれに都市化による屋外汚染が加わる形になっている[4]。薪などによる室内汚染による死者は、2016年時点で年間350万人である[7]。 大気汚染の顕在化とは? 工場地帯の煙突群と煙、19世紀後半 工場の煙突と立ち上る煙、1942年 チリ・サンティアゴのスモッグ、2005年5月16日 衛星写真で観測されたバングラデシュとインド東部の冬の深い霧と市街の大気汚染が混ざったものと推定されてる。2013年1月12日 衛星写真で観測された中国北部北京・天津付近の激しい大気汚染、2012年1月10日(上)・11日(下) 大気汚染について述べた最も古い部類の文献としては、西暦61年に古代ローマのセネカが都市の煙や悪臭を嘆いた記述がある[9][10]。 イギリスのロンドンでは9世紀半ばに既に「空気の悪さ」が知られていた。発展する工業や家庭用暖房の燃料として石炭の使用の増加により、大気汚染が進んで人体への影響が問題になり、1273年には健康を害するとして石炭の使用を禁止。1306年には職人が炉で石炭を焚くことを禁止した。しかし、代替燃料が無かったため長続きせず、街の発展や人口の増加とともに深刻化していった。16世紀には、感染症や大火とともに大気汚染が大きな問題となった。当時の女王エリザベス1世は、議会の開催中にロンドン市内で石炭を燃やすことを禁止する命令を出している。ただ、17世紀後半の国王ウィリアム3世がロンドン市街の大気汚染を避けて、当時はまだ郊外であったケンジントン宮殿に移るなど、依然として汚染は続いた[2][9][10][11]。 ロンドンでは19世紀に入ると、汚染の酷い時期の「死者の増加数」が発表されるほど大気汚染は深刻化した。1905年には医師H. A. デ・ボーがロンドンの大気汚染に対してsmoke(煙)とfog(霧)を合成したsmog(スモッグ)という言葉を初めて用いた[2]。以下、20世紀前半からの世界の大規模な大気汚染の事例を挙げる。
目次
1 概説
2 歴史
2.1 大気汚染の顕在化
2.2 研究と対処の進展
2.3 白いスモッグ・光化学スモッグの問題化と汚染の多様化
2.4 途上国の高い汚染リスクと越境汚染問題
3 大気汚染物質とその影響
3.1 大気汚染物質
3.2 環境基準
3.3 健康や公衆衛生への影響
3.4 環境への影響
4 発生源と汚染プロセス
5 対策
6 監視と予測
6.1 越境輸送のモニタリング
6.2 予報
6.3 指標・警報
7 日本の状況
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
概説
歴史
大気汚染の顕在化重苦しい都市の空気、そして、煮炊きが始まると、
蒸気とスズが入り混じる破滅的な煙をどっと吐き出す
台所。あの恐ろしい悪臭から逃れるいや否や、
私の健康がたちまち回復するのを感じた。 セネカ、61年[8]
1910年代の1910年から1920年のロンドンでは、市街地の煤塵の降下量が1km2当たり年間200トン(1日で1m2当たり0.6gに相当する)に達した[2]。
1930年12月 ベルギーのマース川沿いの町エンギス(Engis
1944年頃から アメリカ合衆国ロサンゼルスで、眼、鼻、気道などの粘膜の持続的・反復性刺激を伴う「白いスモッグ」による大気汚染が発生し始めた。