大橋隆志
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サザンオールスターズの元メンバー「大森隆志」とは別人です。

大橋 隆志
(ジェイル大橋)
聖飢魔II - ジェイル大橋(2010年)
基本情報
別名ジェイル大橋
生誕 (1965-05-05) 1965年5月5日(59歳)
出身地 日本,愛知県豊橋市
ジャンルヘヴィメタル
ハードロック
職業ギタリスト
担当楽器ギター
活動期間1985年 -
共同作業者聖飢魔II
キャッツ・イン・ブーツ
公式サイトhttps://www.takashioohashi.net/

大橋 隆志(おおはし たかし、1965年5月5日 - )は、日本ギタリスト愛知県豊橋市出身。身長178cm。

ジェイル大橋の名で参加しているロックバンド「聖飢魔II」構成員の一人。それ以外では本名で、日米を股にかけ様々な音楽活動を展開している。
略歴

小学生時代にはブラスバンドに入り、中学2年生の時にアコースティックギターを始める。その後エース・フレーリーに憧れ、レスポールタイプのエレクトリックギターを手に入れる。尊敬していたギタリストはウリ・ジョン・ロートジョー・ペリー
学生時代

中学時代からいわゆる不良で、両親に反抗するなど荒れた学生生活を送っていた。高校時代には地元で NOVA というバンドで活動。聖飢魔II名義で発表された「FIRE AFTER FIRE」、「APHRODITE」、「DEATH LAND」 などの原曲はアレンジは異なるもののこの頃から演奏されていた。愛知教育大学附属高等学校を卒業後、國學院大學に入学。
ジェイル大橋として

大学在学中の1985年5、6月に地獄最悪刑務所拷問官ジェイル大橋代官として聖飢魔IIに参加。敬称は代官であった(のち、役職は帝国治安判事となる)。3rdアルバム『地獄より愛をこめて』ではメイン・ソングライターとして活躍し、シングルカットされた『アダムの林檎』では、ゴールデン作曲賞とゴールデンシングル賞(授賞元はFITZBEAT)を受賞。
渡米

1987年1月に聖飢魔IIを脱退、Takashi "Jam" O'Hashi と芸名を変更し、NOVA 時代のベーシスト Yasuhiro "Butch" Hatae (畑江康弘) と共に渡米。当時メタル天国だったロサンゼルスでメンバーを集め、日本人アメリカ人の混成バンド キャッツ・イン・ブーツ を結成、メンバーを交代(初期のメンバーには、マイク・テラーナもいた)しつつ、1988年5月に日本のインディーズ・レーベルから Demonstration - East Meets West を発売し、初回5000枚プレスが即完売。1か月で18都市19公演というスケジュールで日本国内をクラブ・サーキットし、全公演をソールド・アウトとする。この好リアクションに日本のレコード会社数社が契約を求めるも、日本国内のみの活動を要求されたためバンド側はこれを断り結局1988年10月にメジャーレベル EMI と契約金100万ドル(約9400万円)で契約。翌1989年10月 Kicked & Klawed で全米デビューを果たす。アメリカのラジオでは同時期にデビューしたどのバンドよりも頻繁に彼らの曲がオンエアーされたが、マネージメントのトラブル、プロダクションのいい加減さ、メンバー間の不和もあって1990年4月には解散。解散後、レコード会社からの要望で1991年にソロ・アルバムを TAKASHI O'HASHI PROJECT 名義で発表したが、バンドでの活動を求めていた大橋は、活動の拠点をニューヨークに移しておりSlumlords を結成。アルバム Har-Dee-Harhar (1993年) を発表するも、ドラマーがボーカルのドラッグ癖を嫌って脱退、日本公演後幾らもせずに解散になってしまう。このドラマーは、元ハノイ・ロックスのメンバー2人と関わりが深く、ハノイ・ロックス解散後、彼らのバンドでドラムを叩いていた人物で、Slumlordsの前に日本公演に参加するために来日している。その後、再びロサンゼルスに拠点を移し、喧嘩別れしたジョエルと関係を回復しキャッツ・イン・ブーツ時代の ジョエル・エリス のソロなどに参加。
帰国後

1995年7月帰国。帰国に合わせて聖飢魔IIのデビュー10周年公演、サタン・オール・スターズが開催された際、デーモン閣下からのオファーに非常に悩んだものの出演を承諾。ガオのツアーやレコーディングにも参加した。1996年クラシック・ロック・ジャムにデーモン閣下らの仲介で参加、当時ソロだった寺田恵子と出会い、寺田との活動も始まる。寺田との活動は21世紀に入っても継続した。同時期The Outsiders を結成。2003年の活動停止までに3枚のアルバムをリリースした。1999年夏に自主レーベルR&Pを立ち上げ、1994年のキャッツ・イン・ブーツのCD『LastWorks』をリリース。2000年夏に出身地三河地方ローカルのFM番組を中学時代の同級生と共に始めた。2002年、元ANTHEM福田洋也プロデュースのコンピレーションCD「Skill And A Shout It Lets Out」に、デーモン閣下と共に参加。新曲「エフ・ユー・シー・ケー」(作詞:デーモン閣下、作曲:大橋隆志)を提供した。2003年初頭OUTSIDERSの活動が停止状態になった後、元キャッツ・イン・ブーツのジョエルと連絡を再開、渡米。同夏、音楽界から引退していた畑江を除くメンバーに邦人ベーシストを加え、 キャッツ・イン・ブーツを一時的に再結成、3回公演を行った。廃盤になっていたアルバムも東芝EMIからCCCDとして再リリースされ、2006年まで発売された。本格的な再結成は大橋の判断でなされなかった。この時のライブCDは短期間ながら公式FCで販売され、ライブDVDも発売予定だったが、権利問題が生じリリースは見送られた。
聖飢魔II期間限定再集結ツアー以後

2005年、聖飢魔IIの期間限定再集結ツアーに参加する。位置づけは現在に至るまで聖飢魔IIの正規構成員であり、2011年11月30日、12月1日のチャリティーミサ『聖飢魔II Presents「Tribute to JAPAN」』に参加している。この年、ソロ・アルバム二枚を発表。2006年6月にソロアルバム「Child of Nature」を発表し、帰国してのソロ3部作の完結となった。2007年初頭、公式ファンクラブでお蔵入りとなっている2003年のキャッツ・イン・ブーツ上映会が実施。8月22日にはアルバム『Acodelia』をリリース。アウトサイダーズ時代の曲をアコースティック・バージョンで3曲収録し、1991年のソロで参加したケヴィンが1曲のみゲストボーカルとして参加した。新譜に合わせ、愛知時代のバンド仲間だったTiltのメンバーが作ったバンドとの全国ライブツアーも敢行した。ライブDVD及びCDは2008年5月発売された。同時期、デーモン小暮閣下のアルバムGIRLS' ROCK √Hakuraiのツアーにバック・バンドとして参加した。

その後も2015年の聖飢魔U期間限定再集結に参加、2020年の同ツアーにも参加を表明している。



機材

ARIA PRO II RS-JAIL 2005
[1]

ARIA PRO II PE-JAIL ROLL[2]

ARIA PRO II PE-JAIL ROCK[3]

ARIA PRO II TA-TJO[4]

ARIA PRO II TA-JAIL DROP BURST[5]

HERITAGE H-555 CLASSIC[6]

1959SE[7]

TC ELECTRONIC FLASHBACK[7]

T-REX The TWISTER[7]

STEVIE SALAS WAH ROCKER[7]

K FACTORY ELEMENT OF BLUES[7]

YAMAHA OCTAVER[7]

SPI FREESTYLE JAIL OHASHI MODEL[7]

SPI SPANKING PURPLINS JAIL OHASHI MODEL[7]

FULLTONE SUPA-TREM[7]

T-REX REPLICA[7]

所属


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