大槻義彦
生誕 (1936-06-18) 1936年6月18日(87歳)[1]
宮城県[1]角田市
居住 日本
国籍 日本
研究分野物理学
研究機関早稲田大学
出身校東京教育大学
東京大学大学院[1]
主な業績α線の弾性散乱での「水切り運動」発見
大槻ディチャネリング理論提唱
火の玉の物理学的研究[1]
プロジェクト:人物伝
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大槻 義彦(おおつき よしひこ、1936年6月18日[1] - )は、日本の物理学者(放射線物性、核物性、大気電気学)。早稲田大学理工学部を経て、同大名誉教授。理学博士(東京大学、1965年)。テレビタレント。身長169センチメートル。宮城県角田市出身(その後茨城県古河市に在住し[1]、東京都に拠点を持つ)。 球電(プラズマ)の物理学的研究の第一人者[1]。1990年、電磁波で火の玉を作ることに世界で初めて成功。それまで鬼火、狐火などと呼ばれ心霊的現象とされてきた火の玉(怪火)が科学現象である可能性の一つを提示した。 超常現象のひとつとして一時期話題となった「ミステリーサークル」という呼称の先駆者でもある。 長男の大槻東巳は、父親同様に物理学者(東京大学理学部卒、上智大学理工学部物理学科教授)。長女の大槻奈那は、東京大学文学部卒でマネックス証券チーフ・アナリストや名古屋商科大学大学院教授などを歴任[2]。 兼職 学外における役職 その他 放射線物性を研究、α線の弾性散乱での「水切り運動」を発見した。加えて、陽子線 α線のディチャネリングの理論を提唱。「大槻のディチャネリングの理論」として知られている。英文の専門書『Charged Beam Interaction with Solids』(Taylor and Francis, London)を発刊、世界的な教科書として各国で翻訳され、使用されている。これとは別に「火の玉」の理論的、実験的研究を行い、室内ではあるが、電磁波プラズマによって火の玉のほとんど[7]の特性を示すことに成功した。
人物
略歴
1955年:宮城県角田高等学校卒業
1959年:東京教育大学(現:筑波大学)理学部物理学科卒業
1961年:東京大学大学院数物系研究科修士課程修了
1963年:東京大学理学部助手
1965年7月:東京大学 理学博士:「A quantum field theoretical method on the dynamical theory of X-ray diffraction and its application to the plasmon and phonon excitation(X線廻折の動力学的理論の場の量子論的方法とフォノン・プラズモン励起に対するその応用)」[3]
1967年:東京大学工学部専任講師
1968年:早稲田大学理工学部助教授
1973年:早稲田大学理工学部教授
2003年:早稲田大学を定年前に早期退職し、名誉教授に[4]
ミュンヘン大学客員教授
名古屋大学プラズマ研究所客員教授
高エネルギー物理学研究所客員教授
元日本物理学会理事
元Japan Skeptics副会長(他会員との確執により[5]一時退会。現在は会員として復帰している)
『パリティ』(丸善が発行する物理学雑誌)編集長
多くの高校検定教科書を執筆している。
過去に6回、ノーベル賞の推薦人になっている[6]。
近年はゴルフ関係の著作が多い。大槻が考案した「ミステリーサークルパター」なる商品も販売中。
業績