大槻ケンヂのオールナイトニッポン
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大槻ケンヂのオールナイトニッポン
放送期間
1988年10月5日 - 1989年4月5日(水曜1部)
1990年6月4日 - 1991年10月7日(月曜1部)
放送時間水曜 25:00 - 27:00
(木曜未明 1:00 - 3:00、水曜1部)
月曜 25:00 - 27:00
(火曜未明 1:00 - 3:00、月曜1部)
放送局ニッポン放送
制作ニッポン放送
ネットワークNRN系列
パーソナリティ大槻ケンヂ筋肉少女帯
出演内田雄一郎(筋肉少女帯)
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『大槻ケンヂのオールナイトニッポン』(おおつきケンヂのオールナイトニッポン)は、ニッポン放送制作の深夜放送オールナイトニッポンで放送されていたラジオ番組である。目次

1 放送時間

2 概要

3 主なコーナー、企画

3.1 水曜1部時代

3.2 月曜1部時代


4 ゲスト

5 備考

6 脚注

放送時間

1988年10月5日 - 1989年4月5日 水曜1部 深夜25:00 - 27:00

1990年6月4日 - 1991年10月7日 月曜1部 深夜25:00 - 27:00

概要

メインパーソナリティは筋肉少女帯のボーカル、大槻ケンヂ。水曜1部時代にはその筋肉少女帯のベーシストで大槻とは中学生時代からの同級生、内田雄一郎もレギュラー出演していた頃があった。1988年6月21日にメジャーデビューしたばかりの筋肉少女帯であったが、それから3か月あまりでのいきなりのオールナイトニッポン第1部抜擢は大槻自身も驚きのことだったという。当初はプレッシャーからか、水曜1部時代第1回のオープニングでは「あー俺は何でこんな所にいるんだ!」「今日は、あの、あれだよ?俺は誰だよ?ああ、そうだった大槻だ!」などと焦りや不安などいっぱいいっぱいな感じがする喋りや「今日から始まる番組はあれだ、『大槻ケンヂの温泉がぶり寄り』あー違う!『大槻ケンヂのセイ!ヤング』あー違う!『ラッシャー木村のオールナイトニッポン』!」とボケネタを連発[1]。そして放送開始前にブロンを一気飲みした他、酒を飲んで放送したことがあると「オールナイトニッポン30年史」のインタビューで語っていた。

放送開始当時は1988年ソウルオリンピックが閉幕した直後の頃で、その話題性に目を付け「がんばれニッポン」企画が動き出し、1988年10月12日の第2回目の放送にしていきなり、そのソウルオリンピックの体操競技銅メダルを獲得する活躍を見せ話題となった池谷幸雄西川大輔の2人に当時在学していた清風高校に出向いて直撃インタビューを行い、本番組も話題となっていった。同企画では第2弾として同年11月30日アーティスティックスイミングで銅メダルを獲得した小谷実可子田中京もゲスト出演している[2]。そういった話題作りもあって、当時月刊誌「ラジオパラダイス」のパーソナリティ人気投票では最高10位、番組人気投票では最高9位という所まで上り詰める活躍ぶりだったが、水曜1部は半年で終了となってしまう。なお、水曜1部時代はすぐ後の水曜2部「伊集院光のオールナイトニッポン」、ニッポン放送においてすぐ前の時間に放送され、水曜日のコーナーで“おバカ企画”といわれた「ヘビメタ歌謡選手権」をやっていた「上柳昌彦のぽっぷん王国」と合わせて「バカばっかりの水曜日隊」と言われていたこともあった。「伊集院光のオールナイトニッポン」とは1989年3月29日に1部・2部を通して「ボヨヨン・フェスタ'89in銀スタ」をニッポン放送銀河スタジオから4時間生放送している[3]

1989年10月から9か月間放送されていた「大槻ケンヂのセニョール!セニョリータ!」を挟み、1990年6月4日から約1年2か月ぶりに月曜1部でオールナイトニッポンに復帰。月曜1部時代は「オッパイメン」の替え歌などを前面に押しながら、大物ゲストを多く迎えての放送を展開していた。

エンディング曲はエマーソン・レイク・アンド・パーマーの「Lucky Man」。大槻本人の意向で毎回かけられており、月曜1部最終回に曲紹介がされた。

2010年5月21日深夜3時に「大槻ケンヂのオールナイトニッポンR」。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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