大槌島
大槌島全体の空中写真。国土交通省 ⇒国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
所在地 日本(香川県・岡山県)
所在海域瀬戸内海
座標北緯34度25分08.0637秒 東経133度55分21.5744秒 / 北緯34.418906583度 東経133.922659556度 / 34.418906583; 133.922659556
大槌島(おおづちじま)は瀬戸内海に浮かぶ無人島。島の中心に県境が通っており、北側は岡山県、南側は香川県である。 備讃瀬戸に位置し、北側(岡山県側)は日比灘、南側は大槌瀬戸(香川県側)と呼ばれる海域である。また、この海域は本州と四国の距離が最も狭まる部分であり、この島自体も本州・四国のいずれからもほぼ中間に位置している。 全体がいわゆるおにぎり型と呼ばれる円錐状をした山であり、平地が存在しない無人島である。 岡山県側は玉野市日比五丁目、香川県側は高松市亀水町に属している。 大槌島の周囲は東を「大曽の瀬」、西を「西の瀬」と呼ばれる広大なサワラの産卵場として良好な漁場であり、古来から備前国(岡山県)日比、利生、渋川三カ村と讃岐国(香川県)香西、直島のそれぞれ漁師が漁場としていた。その後岡山藩と高松藩の間でこの島の領有権を巡る紛争が発生したが、享保17年(1732年)9月21日に幕府の勘定奉行が下した判決により決着した。その内容は、元来よりこの島の領有権を確定付ける根拠は存在しなかったことを認めた上で、双方がこの海域で獲った魚介類を幕府に献上していたことも事実であり、島の位置は讃岐寄りであるが島の備前側の北側斜面には備前日比村の者が開いた畑があることを考慮したものであった。これによって島の中心に両国の境界を設けることにより、その東方に位置する漁場を備前と讃岐で等しく二分することとした。 大槌島以西の境界を決定する際に大きく尽力した菅野彦九郎 ただし、これは備前側海域の狭さを嘆いた後世の児島・下津井側の創作であることが指摘されている[1]。実際にはこれらの島々を範疇とする塩飽諸島が高い造船力、操舵力、軍事力を背景に勢力を拡大した結果であり、後の江戸幕府もこの島々による異例の高度な自治を認め、讃岐国に属しながらも事実上はいずれ国にも属さない治外法権のような島々であった。これが明治維新により元来讃岐国に属していた塩飽諸島がそのまま香川県に引き継がれ、現在に至っている。 以下の島々にも島内に県境が引かれており、2つの県にまたがっている。
目次
1 地理
2 行政
3 歴史
4 樽流し伝説
5 関連項目
6 脚注
7 外部リンク
地理
行政
歴史
樽流し伝説
関連項目
取揚島:兵庫県赤穂市・岡山県備前市
井島(石島):岡山県玉野市・香川県香川郡直島町
甲島 (広島・山口):広島県大竹市・山口県岩国市
瓢箪島:広島県尾道市・愛媛県今治市
大野島(大詫間):福岡県大川市・佐賀県佐賀市
脚注^ 角田直一著『私の備讃瀬戸』手帖舎、1991年10月
外部リンク
⇒地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名:宇野(岡山及丸亀)
表
話
編
歴
高松市の地区
本庁地区
宮脇亀岡町 | 紫雲町 | 宮脇町 | 西宝町 | 昭和町 | 幸町
東浜塩上町 | 福岡町 | 松福町 | 松島町 | 多賀町 | 花園町 | 観光通
栗林藤塚町 | 栗林町 | 桜町 | 楠上町 | 花ノ宮町 | 上之町 | 中野町
その他朝日町 | 朝日新町 | 新北町 | 茜町 | 西町 | 瀬戸内町 | 観光町 | 上福岡町 | 峰山町
中部鶴尾 | 太田 | 多肥 | 仏生山 | 一宮