この項目では、日本のゼネコンについて説明しています。日本映画の撮影グループについては「大林宣彦」をご覧ください。
株式会社大林組
OBAYASHI CORPORATION
本社が入居する東京品川インターシティB棟(奥)
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 1802
株式会社大林組(おおばやしぐみ)は、東京都港区港南に本社を置く、日本の総合建設会社(スーパーゼネコン)である。1892年創業。日経平均株価の構成銘柄の一つ[4]。 鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店とともにスーパーゼネコン5社の一つ。創業以来、永らく竹中工務店、奥村組、錢高組、鴻池組と並び大阪に拠点を置いていたが、2010年、登記上の本店を東京の品川インターシティに移転した。 三水会とその後身社長会である水曜会およびみどり会の会員企業であり三和グループに属している[5][6]と同時に大輪会の会員企業である[7]。 コーポレートメッセージは「make beyond つくるを拓く」である。かつてarchitecture romanだった時期もあった。 「地球に優しい」リーディングカンパニー[8] 創業以来、受け継がれてきた精神
概要
基本理念
企業理念
企業行動規範
社会的使命の達成
企業倫理の徹底
三箴(さんしん)
良く、廉く、速い
沿革
1892年(明治25年)1月25日 - 大林芳五郎が阿部製紙所の工場建設を受注し、大阪市西区靱南通(現・西区西本町二丁目)にて土木建築請負業、大林店を創業。芳五郎は、1864年(文久3年)海産問屋林徳七の次男として大阪靭永代浜に誕生し、土木建築業見習いを経ての起業であった。
1904年(明治37年) - 店名を大林組に変更。東京事務所を設置。
1905年(明治38年) - 本店を大阪市東区北浜(現・中央区北浜二丁目)に移転。
1906年(明治39年) - 東京事務所を東京支店に昇格。
1909年(明治42年) - 合資会社大林組を設立。
1916年(大正5年) - 大林芳五郎が死去。大林義雄が社務を継承。この頃、大阪電気軌道(近畿日本鉄道の母体会社)による生駒トンネル開削工事費用の未支払いが原因で、経営危機に陥る。実業家の片岡直輝の元で、大阪電気軌道とともに支援がなされて再建。
1918年(大正7年)12月 - 株式会社大林組を創立。
1919年(大正8年) - 株式会社大林組に合資会社大林組を合併。本店を大阪市東区京橋(現・中央区北浜東六丁目)に移転。
1924年(大正13年) - 甲子園大運動場(現・阪神甲子園球場)竣工。
1926年(大正15年) - 本店ビル(現・ルポンドシエルビル)竣工。
1931年(昭和6年) - 大阪城天守閣竣工。
1936年(昭和11年) - 株式会社第二大林組を設立。
1937年(昭和12年) - 第二大林組を吸収合併し、商号を株式会社大林組に変更。
1949年(昭和24年) - 建設業法による第1回登録(建設大臣)完了。
1961年(昭和36年) - 東京大林ビル竣工。東京支店を移転。
1970年(昭和45年) - 日本万国博覧会開催、お祭り広場など主要施設を手がける。東京支店を廃し、東京本社を設置。本社機能を移転。本店は引き続き大阪に置く。
1973年(昭和48年) - 大阪初の超高層ビル、大阪大林ビル竣工。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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