日本の政治家大松 桂右だいまつ けいすけ
山本 桂右
やまもと けいすけ[1]
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1970-02-05) 1970年2月5日(54歳)[2]
出生地 日本 大阪府八尾市
出身校金光八尾高等学校
前職八尾市議会議員
不動産会社員
現職八尾市長
所属政党(無所属→)
大阪維新の会
親族大松銑太郎(父・元八尾市議会議員)[3]
公式サイト ⇒大松けいすけ 公式サイト
第7代八尾市長
当選回数2回
在任期間2019年5月1日 - 現職
八尾市議会議員
当選回数4回
在任期間1999年4月 - 2015年4月
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大松 桂右(だいまつ けいすけ、1970年〈昭和45年〉2月5日[2] - )は、日本の政治家。本名は山本 桂右[1]。大阪府八尾市長(2期)、大阪維新の会顧問。八尾市議会議員(4期)、八尾市議会議長(第68代)を務めた。
来歴・人物、八尾市立曙川小学校、八尾市立曙川南中学校卒業。1985年(昭和60年)4月、八尾市に開校したばかりの私立「金光第一高等学校八尾学舎」(分校)に入学[4](1987年に独立校の「金光八尾高等学校」となる)。
1995年(平成7年)の統一地方選挙の1週間前、八尾市議会議員を務める父の大松銑太郎(山本銑太郎)が入院。銑太郎の選挙を手伝い、秘書を務める。
1999年(平成11年)の統一地方選で、銑太郎の「通算6期24年間」の地盤[5]を継ぎ、八尾市議会議員に初当選した(以後通算4期)[6]。2012年(平成24年)には八尾市議会議長(第68代)に就任。
2015年4月26日の八尾市長選挙に、大阪維新の会と次世代の党推薦で初出馬。現職の田中誠太に一騎打ちで敗れる[7]。
2019年4月22日の八尾市長選に、大阪維新の会から公認で再び出馬。4選を目指した現職の田中誠太ら2候補と三つどもえの末、初当選した[8]。5月1日、市長就任[9]。
2023年4月23日の八尾市長選に大阪維新の会から三度出馬。元職田中誠太ら3候補との選挙戦で勝利し再選した[10]。
なお、八尾市議会の議員定数(28人)や報酬について、2015年に「大阪維新の会」会派が削減(定数15人に、報酬30%カット)案を議長に申し入れたことを例に出し、「どのように進むのか見守る」と述べている[11]。2023年5月1日時点の定数は26人[12]。 市長の職は行政機関(の長)であるため、住民票など法的効果を有する公文書文書には、八尾市長名として通名の「大松桂右」ではなく、本名の「山本桂右」が記載されている[13]。なお、首長の通名では、過去に大阪府知事で横山ノック(山田勇)と太田房江(齊藤房江)の例がある。通名の大松で公認した大阪維新の会だが、八尾市が松井一郎代表の地元(大阪府議会議員時代の選挙区)でもあり、松井自ら八尾市に入って大松を選挙応援。ただし、どの場面でも本名は一切なく、通名の「大松桂右」が使用されていた[14][15]。 大松と松井は同じ世襲政治家で、大松の父の「大松銑太郎」が1975年(昭和50年)38歳で八尾市議会議員に初当選した際、同じ38歳で再選した議員が松井一郎の父の「松井良夫」である[16]。 大阪府が新型コロナウイルスの感染防止策として「会食は2時間程度以内、1テーブル原則4人以内」と要請していた2021年12月上旬、松井一郎大阪市長(日本維新の会代表)や青柳仁士衆議院議員、大松[17]や山入端創羽曳野市長、冨宅正浩柏原市長[18]、大阪14区内の府議、市議ら約30人が大阪市内で2時間半から3時間にわたり[19]「衆院選の反省会」として会食を行っていた。
通名「大松」、松井一郎と親子二代
不祥事