大東急
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東京急行電鉄株式会社
種類株式会社
本社所在地 日本
東京府東京市渋谷区大和田町1[1]
設立1922年(大正11年)9月2日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、バス事業、不動産 他[1]
代表者社長 五島慶太[1]
資本金132,898,225円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[1]
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渋谷のマンホールに「大東急」解体後も残る、大東急時代の東急社章(2008年)

大東急(だいとうきゅう)とは、陸上交通事業調整法による戦時統制下の東京急行電鉄(現・東急電鉄[注釈 1]を指す言葉[2]五島慶太がその総帥[2]
概要

1942年昭和17年)、東京横浜電鉄[注釈 2]は陸上交通事業調整法の趣旨に基づき、同じ五島慶太が経営していた小田急電鉄および京浜電気鉄道を合併[3]。さらに、1944年(昭和19年)には京王電気軌道を合併[4]。また1945年(昭和20年)には子会社で経営基盤が脆弱であった相模鉄道の経営を受託[5]。その営業範囲は東横の元々のテリトリーであった東京市南西部および川崎横浜に加え、八王子町田府中など東京多摩地域中央本線より南側や、小田原横須賀など神奈川県の大部分に及ぶものとなった[4]。大東急時代の鉄道路線は、現在の東急電鉄のものに加え、京王電鉄・小田急電鉄・京浜急行電鉄・相模鉄道に該当する[4]

さらには、以下の企業をその傘下に収めた。

東京都南西部と多摩南部・神奈川県全域・静岡県中部および群馬県草津・長野県軽井沢地区の私鉄

江ノ島電気鉄道[6]箱根登山鉄道[6]静岡鉄道[6]大山鋼索鉄道[6]草軽電気鉄道(現・草軽交通[7]


バス路線

関東乗合自動車(現・関東バス[8]、東都乗合自動車(現・国際興業バス[8]、東海道乗合自動車・藤沢自動車・伊勢原自動車[8](統合し神奈川中央乗合自動車、現・神奈川中央交通


上記の私鉄バス事業および子会社、タクシー会社

日本交通[8]神奈川都市交通


陸運会社

品川運送・城南運送・東横運送・東京砂利運送・厚木通運・相鉄運輸[9](以上、現・SBSロジコム

横浜西部運送・小田原運送・平塚運送・相模運送・横須賀運送[9](以上、現・SBSフレイトサービス)

横浜東部運送(現・東部ネットワーク)、王子運送、城北運送[9]

太平洋戦争後、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律独占禁止法)および過度経済力集中排除法が公布されたが、鉄道事業者である大東急は適用対象外となった[10]。しかし鶴川一郎(後の小田急バス社長)を筆頭に旧小田急電鉄従業員を中心とした分離独立を求める動きが旧小田急のみならず旧京王・旧京浜でも高まり、企業分割を巡り社内が混乱した[11]。さらに大東急の路線は私鉄の中でとりわけ空襲による被害が大きく、これをすべて復旧する資金を一企業が調達するのには限界があった。結局、公職追放を受けていた五島慶太は、会社を分けることで東急各線の復旧が早まると判断し、この意を受けた大川博(当時専務)の案により会社は再編成され、1948年(昭和23年)6月1日、京王・小田急・京急の3社が分離独立し、ほぼ1939年(昭和14年)当時の東京横浜電鉄の路線のみが東急の路線として残り、現在の形となった[12]

それ以外の私鉄も統合前の形に基本的には復することになったが、鉄道路線では元小田急電鉄の帝都線であった井の頭線が京王帝都電鉄(現・京王電鉄)の所属となったり[13]、バス路線でも旧東横乗合の路線のうち京王線以北が京王帝都電鉄に、東海道本線より海側が京浜急行電鉄の所属となったように、若干の変化はあった。
成立と崩壊の経緯

東京急行電鉄の直系前身となる会社は、デベロッパー田園都市株式会社の開発した分譲地と省線(現在のJR)を結ぶための鉄道線として1922年大正11年)に設立された目黒蒲田電鉄(目蒲電鉄)である。翌1923年(大正12年)に目黒 - 蒲田間(目蒲線、後の目黒線および東急多摩川線となる)を開業したが、それと並行する形で池上電気鉄道が1922年(大正11年)から1928年(昭和3年)にかけて蒲田 - 五反田間の路線を開業させた[14]。これにより、両者は競合関係になる[14]。付帯事業である乗合バスまで含めた競争は、目蒲代表者の五島慶太が池上電鉄の大口出資者である東京川崎財閥を口説き落として、1934年(昭和9年)に漸く併呑する形で収拾、池上電鉄の路線は自社の池上線とした[15]。この「敵を身内にしてしまう」やり方は、主に株式の買い占めを図ることで行われた[15]

次いで、目蒲の姉妹会社である(旧)東京横浜電鉄(東横電鉄、現在の東横線の母体)と、玉川電気鉄道(玉電、後の田園都市線の一部と世田谷線の母体)が渋谷開発を巡り衝突した。東横電鉄の東横百貨店開業に対抗し、玉電は二幸を誘致して玉電食堂ビルを建設した[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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