大東 和美生年月日 (1948-10-22) 1948年10月22日(75歳)
出身地兵庫県神戸市
学校報徳学園高校
大学早稲田大学教育学部
ラグビーユニオンでの経歴
ポジションフッカー
アマチュア経歴
年チーム出場(得点)
1952-1955早稲田大学()
代表
年チーム出場(得点)
1972-19xx 日本6()
コーチ歴
年チーム
1976早稲田大学
大東 和美(おおひがし かずみ、男性、 1948年10月22日 - )は、兵庫県神戸市出身の元ラグビー日本代表選手、ラグビー指導者および経営者。独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長。第4代Jリーグチェアマン、日本サッカー協会副会長などを歴任した。 報徳学園高校から早稲田大学へ進学。学生時代は一貫してラグビー部に所属して、早稲田大学ラグビー蹴球部ではフッカーを務めた。1970年度に主将として大学選手権で優勝し、さらに新日鐵釜石に勝利して日本選手権を制覇している。 大学卒業後はラグビー部を持たない住友金属工業(現・日本製鉄)に勤務しながらも、1972年には日本代表に選出されヨーロッパ遠征に参加するなど、テストマッチに計6試合出場した記録を持つ(キャップ6)。1976年度には、1年間母校の早稲田大学ラグビー部監督を務め、関東大学ラグビー対抗戦グループと大学選手権で優勝している。住友金属では主に営業畑を歩み、九州支社長等を務めた後、2005年にJリーグ・鹿島アントラーズの専務取締役に就任。翌2006年に鹿島アントラーズ代表取締役社長に就任した。鹿島アントラーズ社長としては、2009年に商船三井を新規スポンサーに獲得した。 サッカークラブの経営に携わった一方でラグビー界との繋がりも切れることはなく、日本ラグビーフットボール協会評議員と母校である報徳学園高校ラグビー部のアドバイザーを務めている[1]。 2010年7月より、退任する鬼武健二の後任として、Jリーグチェアマンに選任され、日本サッカー協会副会長にも就任した。鹿島アントラーズ社長を務めたチェアマンは2代目の鈴木昌に次いで2人目となった。2014年2月、チェアマンを退任。 2015年10月より、日本スポーツ振興センター理事長に就任。2020年12月、理事長を退任。
プロフィール
兵庫県神戸市出身。
日本代表キャップは6。
座右の銘は一期一会。
来歴
経歴
1967年 報徳学園高等学校卒業
1971年 早稲田大学教育学部卒業
1971年 住友金属工業入社
1996年 同社 四国支社長
1999年 同社 大阪プロジェクト開発部長
2001年 同社 九州支社長
2005年 鹿島アントラーズ・エフ・シー専務取締役
2006年 鹿島アントラーズ・エフ・シー代表取締役社長
2010年 日本プロサッカーリーグ理事長(Jリーグチェアマン)
2014年 Jリーグメディアプロモーション取締役会長
2015年 日本スポーツ振興センター理事長
脚注^ ⇒報徳学園ラグビー部OB会スタッフ 報徳学園ラグビー部OB会ホームページ
関連項目
早稲田大学の人物一覧
表
話
編
表
話
編
歴
歴代ラグビー日本代表キャップ保持者【FW:フッカー(HO)篇:53名】
1930年代 (4名)
矢飼督之
松原武七
松田久治
酒井通博
1950年代 (6名)
中島義信
斎藤寮
松岡正也
吉川公二
志賀英一
赤津喜一郎
1960年代 (4名)
村田一男
天明徹
村山繁
後川光夫
1970年代 (5名)
小俣忠彦
大東和美
和田透
笹田学
波々伯部稔
1980年代 (5名)
藤田剛
平井俊洋
井上雅浩
益留雄二
広瀬務
1990年代 (3名)
薫田真広
弘津英司
坂田正彰
2000年代 (19名)
岩間保彦
立川政則
網野正大
安田昇
辻本裕
加藤昭仁
七戸昌宏
松尾大樹
松原裕司
山本貢
山岡俊
中林正一
青木佑輔
猪口拓
水山尚範