日本の政治家大村 秀章おおむら ひであき
内閣府より公表された肖像
生年月日 (1960-03-09) 1960年3月9日(64歳)
出生地 日本 愛知県碧南市
出身校東京大学法学部卒業
前職農林水産省職員
内閣府副大臣
現職愛知県知事
所属政党(自由民主党(額賀派)→)
日本一愛知の会
称号法学士
公式サイト ⇒大村ひであき公式WEBサイト
第17・18・19・20代 愛知県知事(公選)
当選回数4回
在任期間2011年2月15日 - 現職
衆議院議員
選挙区(比例東海ブロック→)
(愛知13区→)
比例東海ブロック
当選回数5回
在任期間1996年10月20日 - 2011年1月14日
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大村 秀章(おおむら ひであき、1960年〈昭和35年〉3月9日 - )は、日本の政治家、農水官僚。愛知県知事(公選第17・18・19・20代)[1]。
衆議院議員(5期)、経済産業大臣政務官(第1次小泉内閣)、内閣府大臣政務官(第1次小泉改造内閣)、内閣府副大臣(第1次安倍内閣)、厚生労働副大臣(麻生内閣)、衆議院厚生労働委員会筆頭理事、衆議院決算行政監視委員長、自由民主党愛知県支部連合会会長、同党厚生労働部会長、同医療委員長、同厚生関係団体委員長、日本一愛知の会会長(代表)[注 1]、(旧)日本維新の会顧問等を歴任。 愛知県碧南市生まれ。父親は大工、母親は農業に従事していた[4]。父親は婿養子で安城市が出身だった。2歳になる前、近所の犬に顔をかまれ、ひどいけがを負った[4]。顔じゅうが縫い目だらけだったため「縫い目」「フランケン」などと呼ばれ[5]、中学時代にいじめを受けるが、苦しみをはねのけるため勉強に打ち込む[4]。 碧南市立鷲塚小学校、碧南市立東中学校卒業。生家が矢作川堤防のすぐそばだったため夏は矢作川で泳ぎ、油ヶ淵や旧吉良町宮崎で釣りをし[6]、父親の実家のある安城市にもよく通ったという。地域活動に熱心だった同市在住の伯父から大きな影響を受けて育った[7]。「今で言う貧困家庭だったけれど、それでも僕を含めた兄弟3人が大学を出させてもらえた。経済成長という時代に恵まれたからだと思う」と後年インタビューで答えている[5]。 1975年、愛知県立西尾高等学校に進学。高校の同級生によれば「高校時代から、東京大学に進学して官僚を経て政治家になるという進路を決めていた」という[8]。高校の同級生に、のちに安城市長となる三星元人がいる[9]。1978年3月、同校卒業。同年4月、東京大学法学部に入学。 1982年3月、東京大学法学部卒業。同年4月、農林水産省に入省[1]。1987年に神奈川県出身の女性と結婚[10]。1988年に徳島市ニューフロンティア推進部長兼理事、1991年に農林水産省経済局農業協同組合課課長補佐、1993年に食糧庁企画課課長補佐(総括)に就任[11]。
来歴
農林水産省へ入省