大木民夫
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この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆をお願いします。(2022年10月)

おおき たみお
大木 民夫
プロフィール
本名大木 多美男
(読み同じ)[1]
性別男性
出身地 日本東京府(現:東京都[2]
死没地 日本
生年月日 (1928-01-02) 1928年1月2日
没年月日 (2017-12-14) 2017年12月14日(89歳没)
血液型O型[3]
職業声優俳優ナレーター
事務所マウスプロモーション(最終所属)
配偶者あり[4]
公称サイズ(時期不明)[2]
身長 / 体重160 cm / 50 kg
活動
活動期間1946年 - 2016年

声優活動
活動期間1950年代 - 2016年
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

大木 民夫(おおき たみお、1928年1月2日[1] - 2017年12月14日[5])は、日本声優俳優ナレーターである。マウスプロモーションに所属。

長年声優として活躍したことで、その声は幅広い年代に親しまれていた[6]。主な出演作に『X-MEN』シリーズ(プロフェッサーX)、『フランダースの犬』(コゼツ旦那)、『あしたのジョー2』(白木幹之介会長)、『トップをねらえ!』(タシロ艦長)、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』『イノセンス』(荒巻大輔)、『交響詩篇エウレカセブン』(ケンゴー)、『ジョジョの奇妙な冒険』(トンペティ)、『planetarian ?星の人?』(星の人)、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(ターキン総督)などがある[7][8][9][10][6]
来歴

東京府(現:東京都)出身[1][2]第二次世界大戦中にナチスの高官が来日した際、学徒動員により歓迎の日の丸の旗を振りに行ったこともある[11]

1946年NHK放送劇団第2期研究生を皮切りに演劇界へ入り、ラジオ東京放送劇団(1952年)、東京俳優生活協同組合1969年)を経て、1972年に江崎プロダクション(現:マウスプロモーション)へ所属。以後、亡くなるまで在籍していた。

初期はラジオドラマテレビドラマを中心に活動。この頃、当時大学4年生の倉本聰が書いたラジオドラマ『この太陽』に加藤治子と2人で主役を演じたり[12]1955年からTBSテレビで放送開始された特撮時代劇『猿飛佐助旅日記』では俳優として主演も務めた[13]

1950年代から、『不二家の時間』で放送された『ラマー・オブ・ジャングル』の主役(ジョン・ホール)や『西部の男パラディン』の主役(リチャード・ブーン)など海外ドラマ吹き替えに勤しむ。以降は声優としてさまざまな媒体に数多く出演。

1963年に設立された日本放送芸能家協会(現:日本俳優連合)の設立発起人195名の一人であり[14]、実際に融資に応じた発起人83名のうちの一人でもある[15]

80歳を超えても精力的に活動を続け、新海誠監督の『星を追う子ども』(2011年)や細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)などのアニメーション映画、『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』(2010年)や『ホビット 決戦のゆくえ』(2014年)といった劇場公開用の吹き替えに出演。しかし、晩年は足を悪くしており、2015年に収録した『小さな恋のメロディ』では座りながらの収録であった(この時87歳であった)[16]

2017年12月19日、同年12月14日に死去したことが発表された。89歳没。死因は非公表。葬儀は近親者で済ませた[17]。第12回声優アワードでは、特別功労賞に代えて同年度に死去した声優として他の物故者とともにを顕彰された[18]。この席上では名前だけでなく、事務所プロフィールの写真と代表作[注 1]がスクリーンに映し出され、大木のサンプルボイスの一つ『ふしぎ工房症候群』(ふしぎ工房の老人)の音声が会場内で流された。
特色

アテレコ草創期から活動。キャリア最初期は主演が多かったが、後に脇へまわり重要な役どころを演じるようになった[19]

声自体は太くないがしゃべり方に威厳があり、敵味方および役柄を問わず権力者を担当することが多い[19]B級作品の出演では「威厳あるしゃべり方で映画の質を少しばかり上げることに貢献している」と評されることがあった[19]

洋画ではランドルフ・スコットの西部劇、ロバート・デュヴァルマックス・フォン・シドージョージ・C・スコットロイド・ブリッジスクリストファー・プラマーシーザー・ロメロなどの渋い個性派やピーター・カッシングクリストファー・リーヴィンセント・プライスなどの怪奇スターの吹き替えまで数多くの作品で担当している。

ディズニー作品ではアニメ、実写問わず吹き替えに起用されることが多かった。1977年劇場公開の『星の国から来た仲間』(デラニアン役)から2014年劇場公開の『ベイマックス』(フレッドの父親役)まで、49歳から86歳の長期間にわたりディズニーの吹き替えに携わった。大木が出演した『美女と野獣 ベルのファンタジーワールド』や『ターザン』、『ビアンカの大冒険』(ソフト版)で制作監修を務めた当時ディズニー・キャラクター・ボイス・インターナショナルの岡本企美子[20]は、大木が亡くなった際に「上品で重厚で知的な演技をありがとうございました。大木さんが出るだけでその作品に安定が生まれました。」とツイートしている[21]

アニメ・ゲームにおいては、前記のように権力者を担当することが多く主役を演じる機会がなかったが、80歳を過ぎた2014年に発売されたゲーム『レオズ・フォーチュン』(レオ・ポンド役)や、2016年に公開された劇場アニメ『planetarian ?星の人?』(星の人役)においてそれぞれ主人公を演じた。
人物

趣味書道。大木の妻は書道教室を開いており、ミュージシャン川久保秀一がかつて通っていた[4]

オペラ(イタリアオペラ)に造詣が深く、その知識も豊富なものであった[22][23]
仕事に対する姿勢

プロ意識が高く、2011年に「声優としてどのジャンルの(吹き替えの)仕事が好きですか?」と聞かれた際は「全て。プロですから。」と答えている[24]

生前は生涯現役の意向を持っており、『ふしぎ工房症候群』のインタビューでは願い事をするならば「死ぬ迄仕事を続ける事」と答えている[25]。また同作品の第7弾『風の軌跡』のアフレコ現場の雰囲気について、「自信・不安を抱えたら、スタジオに入り、テストの開始を待つ緊張感はいつも楽しいものです。『風の軌跡』は、重い、深いテーマを持ったドラマだけに、出演者一同、いつも以上の周到な準備と、「我こそ」という気概を感じたのは小生だけではないでしょう。」とコメントしている[26]
人物評

同年代の大塚周夫はインタビューを受けた2009年当時、現役でアテレコをやっている80代で芝居を真剣に勉強してきた役者の一人に大木の名前を挙げていた[27]

神谷明によれば、共演者に対して優しかったが、自身の仕事に対しては厳しく言葉を大事に演じていたという[28]

俺がハマーだ!』で共演した同年代の羽佐間道夫は、「言葉が実に明確で、テンションが実に安定している。安心して聴ける」と評している。また大木は「正確なしゃべり方」をしていたと言い、崩すということはなかったという[29]

ボードウォーク・エンパイア』で共演した多田野曜平は、「すごいパワフル。大勢いる声優陣の中でも一番声量がある」と語っており、同作品のオススメポイントの一つに大木の演技を挙げている[30]。また別のインタビューでは「大先輩の大木民夫さんは、主役はやったことがないけれど、常に主役を食っちゃう実力の持ち主。」と語っている[31]。ほかにも井上和彦は「小さな体からものすごい声量で、常に圧倒されました」[32]桐本拓哉は「高齢だったが自身より声量も滑舌もしっかりしていた」[33]、アニメーターの益山亮司は「アフレコ現場でお見掛けした時は一番年長者であるにもかかわらず、誰よりも発声のある声でした」[34]と言い、東地宏樹は大木のことを「小さな巨人」と呼んでいた[35]


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