大書記長[1] (だいしょきちょう、ラテン語: archicancellarius, ドイツ語: Erzkanzler) は、神聖ローマ帝国における王国の最高職。ドイツ王国の大書記長職はマインツ大司教・選帝侯によって継承され、現在のドイツとオーストリアの首相にまで通じている。また中世においてはこれに限らず、書記官や公証人の仕事を監督する役人も指した[2]。日本語文献では帝国宰相[3]、大宰相[4]、大法官[5]といった訳語も用いられている。 ピピン3世から始まるカロリング帝国では、9世紀に各地に書記長(ドイツ語: kanzler)を置く体制が成立した。ランス大司教 ドイツ王オットー1世のもとでは、ドイツ大書記長の役職はマインツ大司教の相続職となった。オットー1世がイタリア王ベレンガーリオ2世を廃位して962年に神聖ローマ皇帝となると、イタリア王国にも同様の役職が創設された。11世紀初頭には、イタリア大書記長職はケルン大司教が代々継ぐものになっていた。つまり形式上、ドイツにおける皇帝の職務はマインツ大司教が統括し、イタリアにおける職務はケルン大司教が統括することになった。ただ後者はイタリアから遠く離れているため、しばしば代理の代表者が職務を担当した。1042年ごろ、ハインリヒ3世が新たに獲得したアルル王国にも大書記長職を置き、初代にブザンソン カール4世は、1356年の金印勅書
カロリング帝国
神聖ローマ帝国
三王国の大書記長職の成立
選帝侯体制以降