大日本帝国憲法第57条
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大日本帝国憲法第57条(だいにほん/だいにっぽん ていこくけんぽう だい57じょう)は、大日本帝国憲法第5章にある。司法権は実質的に法律に基づいて行うことを規定した。
原文
.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}司法權ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判󠄁所󠄁之ヲ行フ

裁判󠄁所󠄁ノ構󠄁成󠄁ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

現代風の表記

司法権は、天皇の名において、法律の定めるところにより、裁判所がこれを行う。
解説
「司法権」

「司法権」とは、judicial power、pouvoir judiciaire、Justizgewaltなどの語に相当する[1]。本条に相当するプロイセン憲法(ドイツ語版)86条には、die richterliche Gewaltと規定されている[1]。これは、行政権に対する語であって、本条は、行政権と司法権とを分離し、司法権は行政機関とは区別された独立の裁判所によって行われるべきことを定めたものである[1]

「司法権」という語は、実質上の意義と形式上の意義との二種の意義に用いられる[1]。形式上の意義における司法権とは、裁判所が行う権力という意味である[1]。ただし、本条にいう「司法権」は、形式上の意義における司法権ではない[1]。なぜなら、もしもこのように解するならば、本条の意義は、ただ裁判所が行う権力を司法権と称するだけとなるため、いかなる作用が裁判所の権力に属するかが示されず、ほとんど無意味な規定となるからである[1]。本条は、司法権の独立の原則を示したものであり、司法権の独立とは、ある実質的作用が行政機関の支配を受けず、独立の裁判所によって行われることを要することを意味する[2]。本条は、5条と相照応し、5条が立法権の行使についての原則を定めているのと同様に、本条は司法権の行使についての原則を定めたものであり、5条の「立法権」が実質上の意義に解すべきであるのと同様に、本条の「司法権」もまた実質上の意義の司法でなければならない[3]

実質上の意義の司法の語には、さらに広狭二種の意義がある[3]。広義の司法は、「法規の下に民事及び刑事に関して行われる国家の一切の作用」と意味する[3]。この意味においての「司法」とは、単に裁判行為のみならず、刑事については司法警察犯罪捜査し、及び被疑者逮捕する作用)及びの執行の作用を含み、民事については各種の非訟事件をも包含する[3]。狭義の司法は、もっぱら民事及び刑事の裁判のみを意味する[3]

本条の意義においての「司法権」がもっぱら裁判権を意味するものであることは、「裁判󠄁所󠄁之ヲ行フ」という字句からも明瞭であり、また、本条の趣旨は、司法権の独立を宣言することにあり、独立であることを要するのは、ただ裁判行為に限ることによってもこれを推定することができる[3]。ただし、その「司法権」は、全ての裁判行為を意味するものではない[3]。「裁判」とは、訴訟手続を経て実在の事件について法規の適用を確認し宣言する行為をいうが、裁判は、国際法憲法行政法民法刑法等、法の全ての区域について行われ得べきものであって、国際法についての裁判はただ国際的な機関によってのみ行われ得べく、一国だけの憲法をもって定め得べきものではないから、本来の司法権が国際裁判を含まないことはいうまでもない[4]。これに対して、憲法・行政法についての裁判は、国家の権力によって行われ得べきものであるが、憲法裁判は、大日本帝国憲法が認めておらず、行政裁判については、61条によって、特に司法権の範囲から除かれることが明言されている[5]。すなわち、本条のいわゆる「司法権」は、憲法及び行政法に関する裁判を含まず、もっぱら民事及び刑事の裁判のみを意味するとするのが明瞭である[5]民事裁判とは、私人相互の間に権利の争いがある場合において、訴えによってその争いを裁断し、もって当該事件に関する私法法規の適用を確認・宣言する行為であり、刑事裁判とは、罪を犯した者がある場合にその犯罪行為を認定してこれに科すべき刑罰を決定し、もって当該事件に関する刑法法規の適用を確認・宣言する行為である[5]。本条は、この2つの作用が独立の裁判所によって行われるべく、行政機関の権限に属せしむべからざることを言明しているのである[5][注釈 1]

司法と行政との区別について、『憲法義解』の所説によれば、(1)行政は処分であるが、司法は判断であること、(2)行政は便宜を配量するが、司法はもっぱら法律に従うことの2点が、行政と司法との性質上の差異であるとしている[8]。しかし、これは誤りであって、特に、民事裁判と刑事裁判とはすこぶる性質を異にしている[8]。『憲法義解』が司法の特質として挙げている第2の点は、民事裁判のみに該当するものであって、これを司法の全体の特質とすることはできない[8]。民事裁判は、ただ原告被告との間の権利の争いについて、法律の標準に照らし、そのいずれの主張が正当であるかを判断することだけを目的とする作用であり、国家自身は、そのいずれが勝つかについて直接の利害関係がなく、したがって、もとより便益を配量する余地はない[8]。裁判所は、公平な第三者として、法律の活きた声(viva vox legis)となり、この場合に何が法であるかを宣言するのみである[8]。ドイツにおいてRechtsprechungというのは、この民事裁判の特質を言い表している語であって、それは、ただ「法の宣言」であるにほかならない[8]。しかしながら、この民事裁判の特質は、第一に刑事裁判には該当しないものであり、第二に行政行為の中にもこれと同じ性質の作用がある[8]

第一に、刑事裁判にあっては、国家は民事裁判のように公平な第三者の地位にあるのではない[9]。刑事裁判は、国家が罪を犯した者に対して刑罰権を行うためにする作用であって、刑事裁判を行う国家は決して第三者ではなく、自ら刑罰を科す当事者である[10]。それは、その性質において、警察官庁が営業上不正行為をした者の営業を禁止し、不良性のある児童を感化院に収容するなどと同様に、社会の秩序を維持することを目的とする行為であり、単純な判断ではなく、ある結果を目的とする処分である[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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