大日本帝国憲法第31条
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに大日本帝国憲法の原文があります。

大日本帝国憲法第31条(だいにほん/だいにっぽん ていこくけんぽう だい31じょう)は、大日本帝国憲法第2章にある。臣民の権利義務は、戦時・国家事変の場合に制限されることを規定した。これを非常大権という。ただし実際に発動されることはなかった。

日本国憲法では、国民の権利に対する制限は法律の留保とともに廃止され、公共の福祉による制限と濫用の禁止のみが明記された。
原文

.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}本章ニ?ケタル條規ハ戰時又ハ國家事變ノ場合ニ於テ天皇大權ノ施行ヲ妨クルコトナシ
現代口語訳

本章に掲げた条規は、戦時又は国家事変の場合において、天皇大権の施行を妨げるものではない。
解説
概要

本条の非常大権は、一面においては国家事変に際して兵力をもって反抗者を征服しうべきことを認めるとともに、他面においては戦時又は事変に際して軍事上の必要のために兵力をもって法律によることなく人民を統治しうべきことを認めたものである[1]

非常大権について、大日本帝国憲法14条戒厳大権と本条の非常大権を併せて広義の非常大権とし、本条の非常大権を狭義の非常大権と定義することもある[2]
沿革

本条の原案は、ロエスレル草案62条の「本章ノ規定ハ天皇ニ属スル特権ノ施行ヲ変更セズ」という規定である[3][4]。その後、伊藤博文井上毅伊東巳代治金子堅太郎が作成した夏島草案(8月草案)63条においては、「本章ニ掲クル前諸条ノ規定ハ天皇大権ノ施行ヲ変更スルコトナク又安寧秩序ヲ維持シ又ハ公然ノ必要ノ為適当ノ制限ヲ設ケ及戒厳ノ時ニ於テ一時停止処分ヲ行フコトアルヘシ」と修正された[5][4]。井上毅は、「逐条意見」において、夏島草案63条がプロイセン憲法(ドイツ語版)111条[注釈 1]とロエスレル草案62条を合わせて制設したものであると説いた[7][4]。そして、井上は、天皇が憲法の条規にしたがってその総攬するところの国権を施行するというときには、この憲法の規定のほかに特権が施行されることはないから、本条には重複の嫌いなしとせず、「天皇大権ノ施行ヲ変更スルコトナク」の部分を削除すべきであると説いたほか、本条が指す「前諸条」においては法律に定めた場合を除外して至当の制限を設けているから、各条に指示する制限のほかにさらに天皇の大権をもって一層の制限をなすかの疑いがあるので、これを削除すべきであると説いた[8]。その上で、井上は、プロイセン憲法111条及びポルトガル憲法(ポルトガル語版)145条34項[注釈 2]の規定をもとに、「戦時又ハ内乱ノ場合ニ於テ安寧ヲ維持スル為ニ必要ナルトキハ全国又ハ一地方ニ対シ前各条ニ掲ケタル国民権利ノ或ル部分ヲ一時停止スルコトヲ得」という修正案を提示した[8]。その後、10月草案35条では、「本章ニ掲クル規定ハ天皇大権ノ施行ヲ妨ケルコトナシ」と修正され[10]、別個の非常大権を規定したものではないことを明らかにした内容の条文案に修正された[11]。その後、2月草案31条では、「本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」と修正された[12]。2月草案と相前後して作成された「憲法説明」においては、本条の非常処分が戒厳令の宣告と戒厳の一部を行うことに限定されていたが[13]、その後、この箇所については削除されたとされる[14]枢密院での審議の際には、「戦時又ハ事変」が「国家ノ危難又ハ国民災害」に拡大され、さらに「戦時又ハ内乱」に限定され、最終的に枢密院議長であった伊藤博文の提案によって「戦時又ハ国家事変」に修正されるなど、最後まで文言が転変することとなった[15]。このこと自体が、大日本帝国憲法31条の明確な位置づけについて、起草者自身が最後まで明確な認識を確立できていなかったことを示しているとされる[15]藤田嗣雄によれば、戒厳に関する大日本帝国憲法14条の規定と非常大権に関する大日本帝国憲法31条の規定とが重複した理由は、プロイセン憲法111条とドイツ帝国憲法(ビスマルク憲法)68条[注釈 3]との関係が大日本帝国憲法の起草者に正当に理解されなかったからであるとされる[17]

本条に相当する規定をプロイセン憲法に求めるとすると、戒厳の宣告について規定したプロイセン憲法111条がほぼこれに相当する[18]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:91 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef