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出典検索?: "大日本国法華験記"
『大日本国法華験記』[1](だいにほんこくほっけげんき)は、平安時代中期に書かれた仏教説話集。通称『法華験記』。著者は比叡山の僧鎮源(伝不詳)。上・中・下の3巻からなる[1]。『本朝法華験記』(ほんちょうほっけげんき)[2]、『大日本国法華経験記』[3][4](だいにほんこくほけきょうげんき)[4]とも。 本書は法華経持経者らの伝記集。伝記の多くは法華経にまつわる霊験譚を含む。上、中、下3巻の計129の伝が、菩薩(聖徳太子と行基)、比丘(最澄、円仁をはじめとする僧)、在家沙弥(剃髪して沙弥戒を受けた在家者)、比丘尼(尼僧)、優婆塞(俗人の男性信者)、優婆夷(俗人の女性信者)、異類(蛇、猿など人間以外のもの)の順に並んでいる[2]。こうした構成は、先行する往生伝の『日本往生極楽記』とほぼ同じだが、異類の部が加わる点は本書の特色である。 本書は『日本往生極楽記』および『三宝絵』に依拠するところが大きい。本書の聖徳太子伝など10の伝記は『日本往生極楽記』から採られたことが明らかである。また、『日本霊異記』の説話と内容が一致するものが6例あり、「霊異記に見ゆ」といった注が付されているが、それらは注の記述も含め『三宝絵』から採られたことが明らかになっている。このほか、『叡山大師伝』や『慈覚大師伝』といった僧伝も用いられている。 一方、相応伝、性空伝、源信伝に関しては、先行する伝記が存在するにもかかわらず、それを素材とせず自己の見聞・知識によって書かれているとみられる。口伝や自己の体験を重んじている点は本書の特色といえる。なお、著者の創作と推定されているものもいくつかある。
成立事情)の鎮源が書いたもの[2][3]。鎮源は、新羅の義寂(7世紀後半から8世紀初め)が書いた『法華験記』(現存せず、その抄本とみられる『法華経集験記』が現存する)[5]もしくは宋の義寂に[6]触発され、その日本版として本書を著したという。
内容と構成
伝記・説話の素材
刊行書
井上光貞・大曽根章介校注『往生伝 法華験記』(日本思想大系新装版 続・日本の仏教思想1)岩波書店、1995年。旧版(日本思想大系7)1974年。
山下民城訳 『法華験記』 国書刊行会、1993年3月。ISBN 978-4-336-03476-2。
脚注[脚注の使い方]^ a b 中尾 1983, p. 377.