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大日寺
本堂
所在地徳島県徳島市一宮町西丁263
位置北緯34度2分17.22秒
東経134度27分45.66秒
大日寺(だいにちじ)は、徳島県徳島市一宮町に位置する寺院。四国八十八箇所霊場第十三番、四国三十三観音霊場第五番札所。大栗山(おおぐりざん)、花蔵院(けぞういん)と号す。宗派は真言宗大覚寺派、本尊は十一面観音。
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:阿波の国 一の宮とや ゆうだすき かけてたのめや この世後の世
納経印:当寺本尊、新奥之院・國中寺、四国三十三観音霊場 寺伝によれば、弘仁6年(815年)に空海がこの付近にある「大師が森」で護摩修行をしていると大日如来が現れてこの地が霊地であるから一寺を建立せよと告げた。そこでその大日如来の姿を刻み、堂宇を建立して本尊として安置し「大日寺」と称したという。 その後、伝承では平安時代末期に、阿波一宮が神山町の上一宮大粟神社にあるのでは不便ということで当地に分詞され阿波一宮神社が造られると当寺はその別当寺となったが、南北朝時代に、当神社の東の144.3mの山の頂近くに一宮城が造られ、その城主であった一宮氏が当神社を深く崇敬し大宮司を兼ねる関係であったため、その後の天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の兵火によって一帯がすべて焼失し一宮氏は没落したが、江戸時代初期、徳島藩3代藩主になった蜂須賀光隆も当神社を崇敬し、当神社と当寺を再建した。 また、いつの頃か、当神社が札所になると当寺は納経所として、「本尊大日如来 一宮大明神 大栗山大日寺」と記帳するようになり、一宮寺とも呼ばれるようになっていた。 明治初期の神仏分離によって、当神社の本地仏であった行基作[注釈 1]といわれる十一面観音を当寺の本堂に本尊として移され、それまでの本尊大日如来は向かって右の厨子に秘仏の脇仏とされ、当寺は神社の別当ではなくなった。 現住職の金昴先(キムミョウソン)は韓国の伝統舞踊家として1995年に訪日し、翌年に前住職の大栗弘榮住職と結婚し一人息子の弘昴(こうみょう)を授かる。2007年に前住職が遷化すると帰国も考えたが、息子が大人になり後を継ぐまではと、本山の大覚寺で修行をして八十八箇所霊場で唯一の外国籍住職となった[2]。その後、弘昴は米国に渡り就学、カルフォルニアの大学[3]に入学中に休学し高野山専修学院に一年間入学して僧侶の資格を得てのち復学し、卒業後は大日寺の住職となり母親の後を継ぐ予定である[4]。[5][6] 県道に面した山門を入ると向かいにしあわせ観音が見える。しあわせ観音を背にして右手に手水場があり、左に大師堂が建つ。右奥に入っていくと大師堂と向き合う形で本堂があり、その左手に地蔵堂がある。納経所はしあわせ観音の後にある。 鐘楼 [ヘルプ]
目次
1 歴史
2 境内
3 交通案内
4 奥の院
5 前後の札所
6 脚注
6.1 注釈
6.2 出典
7 参考文献
8 関連項目
9 外部リンク
歴史
境内 大日寺の本堂
山門(薬医門):以前は石柱門だけであったが平成になって四脚門が新築された。
本堂:本尊十一面観音は秘仏であったが、2014年以降、拝顔できるようになった。向かって右脇陣に青面金剛、同左脇陣に阿弥陀如来立像。また、四国三十三観音の観音立像と大師像が同右側に置かれている。
大師堂:拝顔できる(不定期)
地蔵堂祠
しあわせ観音:合掌している手を模した中に観音像が入っている。
鐘楼
宿坊:定員150名
駐車場:無料が遠くに15台。境内の近くに有料あり。
交通案内
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国)徳島線 - 府中駅下車 (4.1km)
バス
徳島バス 神山線・天の原西線・一宮線 「一宮札所前」下車 (0.1km)
道路
一般道:徳島県道21号神山鮎喰線 大日寺前 (0.1km)
自動車道:徳島自動車道 藍住IC (11.1km)、高松自動車道 板野IC (14.1.km)
奥の院
奥の院・大滝山 建治寺
建治寺を参照
新奥の院・如意山 國中寺
國中寺を参照
前後の札所
四国八十八箇所
12 焼山寺 -- (20.8km)-- 13 大日寺 -- (2.3km)-- 14 常楽寺
脚注
注釈^ 時代的に奈良時代作ではありえないし、玉眼で作風から江戸時代初期の作、古くとも室町時代作であるが各解説本にもそのように書かれているため、ここでは同様に記述する。
出典^ 華藏院(華蔵院, 蕐藏院)と同音。「華蔵
^ ⇒徳島県大日寺の韓国人女性住職・韓日結ぶ金昴先(キム・ミョソン)さん 東洋経済日報 2009年8月28日
^ カリフォルニア大学アーバイン校
^ 2018.7.5付の宗教新聞より