『旅行記』(りょこうき、亜: ???? ?????? ?? ????? ??????? ?????? ??????? tu?fat al-na??r f? ?ar??ib al-?am??r wa-?a???ib al-?asf?r, 『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』)は、イブン・バットゥータによる書物。通称リフラ(Rihla)と呼ばれる。日本では『大旅行記』、『三大陸周遊記』、『都市の不思議と旅の驚異を見る者への贈り物』などの呼称もある。14世紀の世界を知るうえで資料的価値があると評価されている。 約30年をかけて旅を行ったイブン・バットゥータが、当時のマリーン朝の君主の命令を受けて、イブン・ジュザイイ
目次
1 概要
2 内容
2.1 旅程[1]
2.2 事物
3 評価・影響
4 書誌情報
5 参考文献・脚注
6 関連項目
7 外部リンク
概要
イブン・バットゥータは21歳の時にメッカ巡礼に出発した。当初は巡礼と学究が目的だったが、旅先でのスーフィーとの出会いなどがきっかけとなり、メッカへ到着したのちも旅行を続ける。故郷を出発した時は一人だったが、途中で巡礼団と一緒になったり、政府の使節として旅行するなど、彼の旅の形態は多様である。エジプトからシリアのダマスカスを経てメッカに滞在したのちは、イラク、イラン、アラビア半島、コンスタンティノープル、キプチャク・ハン国、トゥグルク朝のデリー、マルディヴ、スマトラ、泉州、大都、ファース、グラナダ、サハラ砂漠などを訪れている。ただし、中国をはじめいくつかの土地に関しては、実際には訪れていないという考証もある。
内容
旅程[1] イブン・バットゥータの旅程
1325年 タンジェからメッカ巡礼の旅に出発する。トレムセン、ビジャーヤ、コンスタンティーヌを経てチュニスに到着。チュニスの地方官の娘と結婚する。
1326年 タラーブルス、アレクサンドリア、カイロ、ナーブルス、サイダーなどを経由してダマスカスに到着。メディナ、メッカへ向かい最初のメッカ巡礼を果たす。
1327年 ワースィト、バスラを経てエスファハンに滞在。シーラーズ、バグダードに滞在。タブリーズ、マウスィルへ向かったあとで再びメッカに戻る。
1328年 - 1329年 メッカに滞在。
1330年 巡礼大祭に参加後、紅海を南下してイエメンへ向かう。
1331年 東アフリカ、アラビア半島南部を旅する。
1332年 イラン南部、ハジャル、ヤマーマを経てメッカに戻る。インドへ向け出発。上エジプト、シリアから小アジアへ向かう。アクリードゥールに滞在し、ラーズィクを経てブルサに到着。
1333年 コンスタンティノープルへ出発。キプチャク・ハン国、ロシア南部のヴォルガ・ブルガールを経てコンスタンティノープルに到着。中央アジアのフワーリズムやカーブルを経てインダス川に到着し、スィンド地方を経てデリーに到着。当地の法官となる。
1334年 - 1340年 デリーに滞在。イブラーヒム・ブン・ジャラール・ウッディーン・アフサーン・シャーの娘と結婚する。
1341年 法官を辞してインダス川流域の町ムルターンのザーウィヤに滞在[2]。
1342年 スルタンから元への使節に任命され、デリーを出発。
1343年 インド洋のムライバール海岸を通過し、シンダーブールに滞在。カーリークートに戻った後にマルディヴへ向かう。
1344年 - 1346年 マルディヴを出発し、スリランカ、南インドを経てマルディヴに戻った後、ベンガル、スマトラを経て泉州に到着。