大手町野村ビル
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大手町野村ビル
大手町野村ビル
情報
旧名称東京生命大手町野村ビル
用途事務所、店舗
設計者大成建設一級建築士事務所[1]
施工大成建設、清水建設、野村建設工業、白石建設、長谷工コーポレーションJV[1]
建築主東京生命保険、大和銀行[1]
構造形式地下:SRC造
地上:鉄骨造一部SRC造[1]
敷地面積4,422.87 m²
建築面積2,545.18 m² (建蔽率58%)
延床面積59,929.86 m² (容積率1355%)
階数地上27階、地下5階、塔屋1階[1]
高さ138m(最高部)
着工1991年7月(1期工事)
1994年11月(2期工事)[1]
竣工1994年2月(1期工事)
1997年1月(2期工事)[1]
所在地〒100-0005
東京都千代田区大手町二丁目1番1号
座標北緯35度41分6.9秒
東経139度45分58.4秒
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大手町野村ビル(おおてまちのむらビル)は、東京都千代田区大手町の一角にある超高層ビル
目次

1 概要

1.1 名称変更


2 テナント

3 脚注

3.1 注

3.2 出典


4 関連項目

5 外部リンク

概要

前身は佐藤功一が設計を手かげ、1932年に竣工した7階建ての日清生命保険の本社屋「日清生命館」であり、建物は印象的な時計塔とともに人々に長く親しまれた[1]。日清生命は野村財閥傘下の東京生命保険が吸収したため、日清生命館は1941年に野村合名の所有となり、名称も丸ノ内野村ビルディングと改められた。

戦後の財閥解体の折には、野村銀行の後身である大和銀行が承継。建物は長らく同行東京営業部・東京本部として使われた。バブル期1990年前後に、大和銀行と東京生命保険の共同出資により超高層ビルへの建て替え計画が浮上。丸の内野村ビルと東京大和ビルの跡地に、1994年2月、27階建て超高層ビル「東京生命大手町野村ビル」が竣工。次いで、1997年1月、北側に全面ガラスで覆われた玄関ホールとなるアトリウムのほか、アトリウムの前面に川上喜三郎の作品などがある公開空地の整備が完了している[2]

ビルは地下1階で地下鉄に直結している他、屋上には緊急離発着用のヘリポートを設置。加えて地域冷暖房設備も有している[1]。なお、当ビルの開発には野村不動産が関与していないものの、野村證券野村ホールディングスが大手町本社の一部として入居している。

設計にあたって、発注者の大和銀行と東京生命から外観の一部を保存できないかと強い要望が示され、また東京都からも旧建物外観の重要な部分(時計塔や尖塔列柱)の外郭を保存したいとの要請があった[1]。これを受け、設計を担った大成建設は、全銀協および東京銀行協会本部が入居する東京銀行協会ビルディング(1993年竣工。2016年解体)と同様に、低層部に旧建物のファサードをはめ込んで意匠を継承する手法を採り、時計台も日清生命館とほぼ同じ位置に設置した[注 1]
名称変更

2000年に共同保有者の東京生命が有価証券含み損の処理原資に充てるため、新橋の本社ビル(現:内幸町平和ビル)と当ビルを売却したため[3]、当ビルの名称は「大手町野村ビル」に改められた[注 2]

2003年には大和銀行があさひ銀行と合併してりそな銀行が発足。旧大和銀東京営業部はりそな銀東京営業部と衣替えした。りそなショック後に同営業部は、りそな・マルハビルに位置した大手町営業部に移転集約となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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