■■大成町
町丁
鉄道博物館
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}■■大成町
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度54分44.4秒 東経139度36分55.7秒 / 北緯35.912333度 東経139.615472度 / 35.912333; 139.615472
国 日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
区大宮区・北区
地域大宮地区
人口(2017年(平成29年)9月1日現在)[1]
? 合計17,570人
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号330-0852
(一丁目 - 三丁目)
331-0815(四丁目)
市外局番048[2]
ナンバープレート大宮
※座標は大成二丁目自治会館の位置
■大成
大字
国 日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
区北区
地域大宮地区
等時帯UTC+9 (JST)
市外局番048[3]
ナンバープレート大宮
大成町(おおなりちょう)は、埼玉県さいたま市の町名。現行行政地名は大成町一丁目から大成町四丁目。このうち一丁目から三丁目までが大宮区に属し、四丁目が北区に属する。いずれも住居表示未実施地区[4]。郵便番号は330-0852(一丁目 - 三丁目)・331-0815(四丁目)。本項では、大成町の前身で現在も残存する[5]北区の大字大成(おおなり)と、その前身である大成村(おおなりむら)についても記す。 さいたま市中北部の大宮台地上に位置する。町域の西端を切敷川が流れる。北区宮原町・東大成町・櫛引町・日進町、大宮区錦町・桜木町・櫛引町と隣接する。鉄道博物館駅や鉄道博物館が大成町三丁目に置かれている。地内は市街化区域で主に住宅地(第一種住居地域)であるが、北部には生産緑地地区の農地も見られる[6]。 住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、大宮区大成町一丁目282番2外の地点で23万6000円/m2、北区大成町四丁目580番4の地点で13万7000円/m2となっている[7]。 もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大宮領に属する大成村で、古くは高鼻荘・金子荘に属していた[8]。村高は正保年間の『武蔵国田園簿』では500石(田155石余、畑344石余)、『元禄郷帳』では578石余、『天保郷帳』では578石余であった[8]。助郷は中山道大宮宿に出役していたが、正徳・安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた[8]。村の規模は不明で、村域は上・中・下の3組に分けられていたが、行政上では上大成・下大成に二分されていた。化政期の戸数は180軒であった[8]。
地理
地価
歴史
初めは幕府領、なお村内に当たる領域は1600年(慶長5年)より知行は旗本小栗氏とあるが[8]、1673年(延宝元年)より幕府領となる[8]。なお、検地は1632年(寛永9年)に実施[9]。
1768年(明和5年)より村域の大半の知行は旗本小栗氏となり、残りが寛文年間より知行は旗本牧野氏の相給となる[8]。
1828年(文政11年)より大宮宿寄場55か村組合に所属[8]
幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、牧野助十郎の知行、および普門院領であった[10]。
1868年(慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
1869年(明治2年)
1月13日 - 武蔵知県事・宮原忠英の管轄区域に大宮県を設置、同県の管轄となる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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