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本名大川豊
ニックネーム総裁
生年月日 (1962-02-14) 1962年2月14日(62歳)
出身地 日本・東京都豊島区
血液型O型
身長163cm
言語日本語
最終学歴明治大学商学部商学科
事務所太田プロダクション→大川興業
活動時期1983年 -
他の活動大川興業代表取締役総裁
配偶者既婚
公式サイト大川興業公式サイト
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大川 豊(おおかわ ゆたか、1962年〈昭和37年〉2月14日 - )は、日本のお笑いタレント、プロモーター。大川興業代表取締役総裁[1]。東京都豊島区出身。愛称は総裁、大川総裁。 東京都豊島区に生まれ[2]、板橋区常盤台に育つ。東京都立豊島高等学校・明治大学商学部卒業。英語とドイツ語が堪能な母親が在日米軍基地キャンプ・ドレイクで働いており[3][4]、幼少時はいつも米国人と一緒にいた影響で自分の主張ははっきり述べる人物に育つ。デーモン閣下とは、「世を忍ぶ仮の」大学時代からの友人。大学は違っていたが、毎日のように会っていたという。 明治大学在学中の1983年、学生パフォーマンス集団「大川興業」を結成し[2]、『ラブアタック!』などのテレビ番組出演を行いセミプロタレント的な存在となる。 その後、就職活動で153社の試験に落ち、1985年に自ら大川興業株式会社を正式に設立。代表取締役となり、自分自身に内定を出す[5]。 過激すぎてテレビに呼ばれなくなり、劇団化した集団を率いてナンセンス・風刺系演劇に多数出演。また事務所の代表取締役総裁としても活動し、江頭2:50、松本ハウスなどを送り出している。 また、週刊プレイボーイなどの雑誌での政治家や有名人との対談や、北朝鮮やイラクなど政治的に話題となっている場所への訪問、アメリカでの会社設立などを行う[2]。大学時代から重ね続けている借金をネタに「ぴあ」で連載されたコラム『金なら返せん!』が書籍化されヒット。 1999年に『週刊プレイボーイ』10月26日号で、防衛政務次官(当時)西村眞悟と対談した際は西村から暴言が飛び出す事態に遭う。大川はマスコミへのコメントを避け、誌面で西村を「それにしても西村氏にはできれば辞職してほしくなかった。西村氏が問題提起しようとしていた話は堂々と国会の場で討論して、政策論争を展開しないと意味がない」と擁護した。 2001年、自民党の総裁選挙に合わせて行われた大川興業総裁選挙で江頭2:50に敗れ、総裁の座を譲る[2]。その後、2006年に返り咲く[2]。2009年、民主党への政権交代後、当時の鳩山由紀夫首相がフリーの記者にも首相・閣僚の記者会見を公開したことを契機に、首相・閣僚の記者会見へ出席するようになり、閣僚らへの質問も行っている[3][6][7]。
来歴