大川興業
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大川興業株式会社
OOKAWA KOGYO Co.,Ltd.種類株式会社
本社所在地 日本
108-0073
東京都港区三田3丁目2番1号
弓和三田ビジデンス701
設立1985年昭和60年)12月14日
1983年(創設)
業種サービス業
法人番号9010401034018
事業内容芸能人の養成、テレビ、ラジオの番組の企画及び制作など
代表者代表取締役社長: 大川豊
資本金1,000万円
主要株主大川豊
外部リンクhttps://okw.co.jp/
特記事項:江頭2:50が総裁を務めた(2001年-2006年)頃、「大川豊興業」と自称(沿革の節を参照)。1997年10月1日東京都板橋区常盤台一丁目67番2号から本店移転。
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大川興業株式会社(おおかわこうぎょう)は、日本お笑い演劇グループ及び芸能事務所大川豊が創設者で、代表取締役社長を務める。

大川豊がお笑い・演劇グループとして1983年に結成、活動を開始し、主にナンセンス・風刺系演劇を行っている。芸能事務所としては、1985年に前述のグループのマネジメントを目的に設立された。

本項では、区別が必要な場合は前者を「集団」、後者を「事務所」と表現する。
沿革
結成

大川豊が明治大学在学中の1983年に、学ランパフォーマンスサークル『大川興業』を結成。

1970年代後半に流行った漫画『嗚呼!!花の応援団』(双葉社の『週刊漫画アクション』に連載され映画化もされた。)をパクった芸風で、在学中からセミプロの芸人集団としてテレビなど各方面で活動。出演した番組には、『テレビに出たいやつみんな来い!!』(日本テレビ)などがある。角刈り頭に斜めのサングラスという出で立ちの大川を中心に、バンカラ応援団風パフォーマンスを展開し話題になる。この時代の代表作に、「花火三連発」「アフリカどん!」「オカマ虫パート1」「中近東の踊り」「アルプス広場の踊り」などがある。

大川の就職活動失敗の後、1985年に大川興業株式会社を設立し、自分で自分に内定を出す。当初の本店所在地は東京都板橋区常盤台、資本金は100万円(1989年に200万円に増資)であった。

明治大学の同窓生が次々と就職しメンバーから脱退すると同時に、慶應義塾大学法政大学日本大学などからメンバーが加入。学生サークルから徐々にプロ化していく。

ミッドナイトin六本木』(テレビ朝日)でアダルトビデオ紹介のコーナーを担当し、毎週パフォーマンスを披露し徐々に知名度を上げる。

この時代の代表作に「ふきのとうの踊り」「愛国党赤尾敏総裁に捧げる歌」などがある。
太田プロ時代

1985年後半より太田プロダクションに所属し、『鶴ちゃんのプッツン5』(日本テレビ)、『鶴ちゃんのおもいっきりポコポコ』(テレビ朝日)、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)、『花王名人劇場』(関西テレビ)、『冗談画報』(フジテレビ)、連続ドラマ親にはナイショで…』 (TBS)、『ズームイン!!朝!』(日本テレビ)の生CM、『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(日本テレビ)『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』(TBS)、『新・花の聖カトレア学園』(テレビ東京)など数々の番組に出演。同時期の太田プロ新人芸人としてダチョウ倶楽部おきゃんぴー、ペコちゃん(コンビ)がおり、合同でお笑いライブ活動も行っていた。

漫画魁!!男塾』(宮下あきら作)に登場する「直進行軍」を、漫画より先に『プッツン5』の「南南西に進路をとれ」コーナーとして行っていた。北海道札幌時計台から日本テレビまで直進するという内容。結局たどり着けず。

フライデー襲撃事件によるビートたけし及びたけし軍団の謹慎中は、山田邦子司会の『スーパージョッキー』(日本テレビ)に出演し、毎週ダチョウ倶楽部と熱湯風呂対決を行っていた。

東芝EMIからシングルレコード「童貞あずけます」(作詞・秋元康、作曲・見岳章)をリリースするが、まったく売れなかった。ちなみにB面は学習研究社BOMB編集部が当時売り出し中だった田中美奈子の「グループ交際のすすめ」だった(大川興業もコーラス参加)。

同じ頃、スキー用品のアルペンや、ライターメーカー・東海使い捨てカイロ「ホットマン」、ランドセルメーカー・神田屋鞄製作所の「カルちゃんランドセル」などのCMにも出演していた。

亀戸駅ビルエルナードでは、岡安由美子率いる秘密結社Gと一緒に定期的なイベントに出演していた。この時代に「ウイーン電動こけし合唱団」のネタが生まれた。
独立

その後太田プロから独立し、1988年頃から次第にテレビから舞台を中心とした劇団的な活動に移行していく。

なお、独立に際しては「爆笑問題と違い、筋を通して円満に辞めている」と大川は語っている。


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