大嶺炭田
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大嶺炭田(おおみねたんでん)は、山口県美祢市から下関市にかけて分布する炭田である。中生代三畳紀に形成された炭田であり、日本の他の主要炭田よりも形成年代が古く、炭化が進んだ無煙炭の日本最大の産地として知られていた。
位置と環境

大嶺炭田は山口県美祢市西部から下関市(旧豊田町)にかけて、日本海瀬戸内海とのおおよそ中間にあたる地域の東西約8キロメートル、南北約12キロメートル、面積約70平方キロメートルの範囲に広がっている炭田である[† 1][1]

大嶺炭田があるのはおおむね標高100メートルから300メートル程度の山間部である。炭田の中央部には標高350メートル程度の分水嶺が北北東から南南西に伸びていて、山地の谷間である低地部分は狭い。つまり基本的には山がちな地形の中に炭田が広がっている[2]
地質学的特徴
三畳紀に形成された厚保層群と美祢層群

日本列島は約7億年前、先カンブリア時代末期に超大陸ロディニアから分離した中国南部の大陸塊である揚子地塊の外縁でその形成が始まったと考えられている。その後、約4億5年万年前のオルドビス紀末期以降、揚子地塊辺縁の沈み込み帯に付加体が順次形成されていく[3]。地塊辺縁から海洋側に向かって順次付加体が形成されていく中で、徐々に日本列島が形作られていった。そのため、現在の日本列島では日本海側に近い部分には古い時代に付加された地質体が存在し、太平洋側に向かうにつれてより新しい時代に付加された地質体が見られるようになっている。中国地方では例えば山口県の秋吉台で知られる山口県、島根県、広島県に広がる秋吉帯は、大洋域の島々や海山のサンゴ礁で形成された石灰石などが古生代末の後期ペルム紀に付加体となったものと考えられている[4]

中生代に入ると、中国地方では山口県西部の厚保層群、美祢層群、岡山県の成羽層群といった三畳紀に形成された地層群のように、秋吉帯などの付加体や周防帯などの変成帯の上部に、浅い海や汽水域で形成された地層や陸成層の堆積が始まった。中でも美祢市南部の厚保層群と美祢市西部から下関市北東部に見られる美祢層群は、これまで多くの植物、昆虫、貝類の化石が発見されたことで知られている。厚保層群は中期三畳紀の後期ラディニアン期から後期三畳紀のカーニアン期にかけて、美祢層群は後期三畳紀の後期カーニアン期からノーリアン期にかけ、ともに淡水域から浅海といった環境下で形成されたと考えられている。大嶺炭田は中生界三畳系である厚保層群、美祢層群内に炭層が分布しており、かつては日本最大の無煙炭の産地であった[5]
大嶺炭田の炭層とその特徴大嶺炭田の炭鉱の位置。

大嶺炭田は三畳紀に形成された厚保層群と美祢層群に炭層が分布しているが、主要炭層は全て美祢層群内にある。厚保層群は大嶺炭田の南東部、美祢線南大嶺駅の南方に美祢線を挟むように分布し、下層の本郷層と上層の熊倉層に二分される。うち、石炭層があるのは熊倉層であるが炭質は粗悪で、これまでほとんど石炭としては採掘されたことがない。しかし花崗岩体による熱変成を受けたためと考えられているが、熊倉層西部の花崗岩体周辺の無煙炭は土状黒鉛となっており、終戦後一時期黒鉛を採掘したものの、1949年(昭和24年)頃までに採掘が中止された[6]

美祢層群は北東から南西方向に向斜軸を持つ向斜構造をしており、地層の走向もおおよそ北東から南西方向である。層位は下位から平原層、桃木層、麻生層の3層に分けられている。それぞれの層に石炭層が分布しているが、大嶺炭田の主要石炭層は桃木層に集中している[7]。平原層は炭田の南東部を中心として分布しており、層厚は北部は約350メートルであるのに対して南部では約1000メートルに達する。平原層は主に汽水性の堆積物と考えられる礫岩砂岩泥岩によって形成されており、その中に4層の石炭層が挟まっている[8]。中でも平原層最下部には稗田層と呼ばれる3層の石炭層があり、炭層の発達が悪い地域では稼行対象とはなりえないものの、大嶺炭田南東部の旧大嶺駅南方の滝口付近では炭層がよく発達しており、滝口炭鉱、西嶺炭鉱が採掘対象としたが、カロリーが低い低質炭であった。これは石炭のもととなる植物の遺骸が堆積した際の条件が悪かったか、または地殻変動の影響によって炭質が悪化したものと考えられている[9]

桃木層は下層の平原層とは軽微な不整合で乗った形となっており、層厚約1600メートルである、下部から下部層、桃木層主部、猪ノ木夾炭層の3層で構成されており[† 2]、大嶺炭田の主力炭層が含まれている[10]

桃木層の炭層で最下部にあるのが麦川層である。麦川層は3?8層の炭層で構成されており、大嶺炭田南部では炭田開発初期から稼行対象となり、炭田北部の竜現地炭鉱でも採掘されたものの、炭層が不安定である上に平原層の稗田層と同じくカロリーが低い低質炭であった。炭質不良の原因はやはり稗田層と同じく、石炭のもととなる植物の遺骸が堆積した際の条件が悪かったか、または地殻変動の影響によって炭質が悪化したものと考えられている[11]

麦川層の上部にある炭層である藤河内層は大嶺炭田内に比較的安定した形で広く分布しており、炭田北部では炭層が厚く南部では薄くなる傾向が見られる。塊炭が多くカロリーが高い良質炭であり、榎山炭鉱、大明炭鉱、そして炭田北部の神田無煙炭鉱、美福炭鉱などで採掘された[12]。藤河内層の上部には櫨ケ谷層があるが、全般的に炭層が薄い上に炭層内に頁岩が挟まっているなど採掘条件が悪いため、炭層の発達が比較的良い地域であった榎山炭鉱、大明炭鉱、櫨ケ谷炭鉱などで採掘された。炭質は塊炭が中心である[13]大嶺炭田の炭層。

藤河内層の上部には最下層、下層という炭層がある。中でも下層は大嶺炭田内に広く分布し、しかも1.5メートルから2メートルという比較的厚い炭層である上にカロリーも高い上質炭であり、大嶺炭田を代表する炭層の一つとされていた。炭質はやや塊炭が多いという特徴があり、炭層上下の地盤が固いため採掘が容易という利点があった[14]


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