大崎義隆
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 凡例大崎 義隆
時代戦国時代 - 江戸時代
生誕天文17年(1548年
死没慶長8年8月13日1603年9月18日
官位左衛門佐
幕府室町幕府江戸幕府
主君伊達晴宗→半独立→伊達政宗豊臣秀吉蒲生氏郷上杉景勝最上義光
氏族大崎氏
父母父:大崎義直
兄弟義隆、黒川義康(黒川晴氏養子)、妙英(最上義光正室)
子不明
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大崎 義隆(おおさき よしたか)は、日本の戦国時代陸奥国大崎地方に割拠した戦国大名である。大崎義直の子で、永禄10年(1567年)頃から天正18年(1590年)まで大崎氏第12代の当主だったが、豊臣秀吉奥州仕置で取り潰された。官名には左衛門佐、左衛門、左衛門尉を名乗った。
生涯
生誕から家督継承

天文17年(1548年)大崎氏11代当主、大崎義直の子として誕生する。伊達稙宗の子大崎義宣が父義直の養子として既に入っていたが、同年終息した天文の乱で立場を失い天文19年(1550年)に殺害されている。その後伊達氏は本拠を米沢に移したため圧力が減じ、葛西氏との領土争いについても優位に立つこととなった。大崎氏当主としての義隆の活動を伝えるもっとも古い文書は、永禄10年(1567年)に家臣に相継いで発給した所領宛行状で、この頃大崎の当主になったと考えられる[1]
大崎合戦まで

父義直は天文の乱で伊達晴宗に味方しており、伊達氏との関係は伊達氏が伊達輝宗に代替わりし、大崎氏が義隆に代替わりしても良好であった。出羽国最上氏は大崎氏と始祖を同じくする家で、妹の釈妙英を最上義光に嫁がせるなど、関係は密であった。会津の蘆名盛氏とも親交があった[2]。しかし、宿敵関係にある東隣の葛西氏とは紛争が絶えなかった。葛西氏に属した諸家には、元亀2年(1571年)に葛西・大崎の合戦があり、葛西が勝ったことを伝える文書が7通残されている。書状はいずれも疑わしいものとされているが、周辺諸家に別々に伝承があったことは無視できず、時期や結果はともかく合戦があったことは事実とされる[3]

この後、天正5年(1577年)に葛西氏に属する元良某が主家に反抗したことを口実とし、救援のため義隆は出兵して葛西軍と戦った[4]葛西晴信はこの頃伊達輝宗の対相馬戦に援兵を送るなど、輝宗と同盟関係にあった[5]。輝宗は対相馬戦に軍勢を貼り付けていたため、葛西のために兵を動かすことはできず、弟の留守政景を和平仲介の使者として大崎に送ったが、成功しなかった[6]

義隆は天正9年(1581年)京都の愛宕神社に立願を思い立ち、伊達・相馬の戦いが続く相馬口を避け、長井口(米沢経由)を通してくれるよう依頼する書状を伊達氏に出した[7]。当時は織田信長が京を支配し、畿内の支配を固めつつあった。
大崎合戦

天正14年(1586年)大崎氏で内紛が勃発した。伊達輝宗より家督を継いだ伊達政宗豊臣秀吉の出した関東・東北に対する惣無事令を無視して介入し、2年後に伊達・大崎両軍が激突する大崎合戦に発展した。

発端については諸説あるが[8]、この内紛で西の氏家吉継のほか、東は葛西氏との境界にいる富沢氏、北では三迫氏が大崎に反いた。伊達氏は大崎領から見て南東方向にある小領主群を服属させており、そこで両家は境界を接していた。しかし南では、伊達・大崎両勢力の中間を占める黒川郡黒川晴氏が大崎側についた。天正16年(1588年)2月、伊達家臣浜田景隆留守政景らに率いられた伊達軍が攻め込んだ。伊達軍は黒川領を避け、南東側から大崎領深く進攻し、大崎氏の主城というべき中新田城を攻略して、岩出沢の氏家に連絡を付けようとした。しかし大崎軍は中新田城を守り抜き、黒川晴氏が伊達軍を後方から襲い退路を遮断した。敗れた伊達軍は新沼城という小さな城に入って孤立した[9]。命乞いされた大崎義隆は、進攻軍の将泉田重光を人質にとって敵軍の撤収を認めた[10]

合戦後、大軍の活動はなく、両家の交渉が続いたが、同時に大崎家臣をめぐる水面下の寝返り工作も進んだ。4月までに大崎側は、いったんは反乱側についた氏家真継と一栗兵部を翻意させた[11]
伊達政宗と和睦

当時、伊達政宗は南方で蘆名氏相馬氏と敵対しており、加えて大崎と縁戚関係であった最上義光が伊達氏に落とされた黒川・志田両郡を攻略するなど伊達軍と交戦状態だった。猶予を得た大崎は、伊達氏の援軍が去り孤立状態にある氏家吉継に対する圧迫を強めた。天正17年(1589年)2月、氏家吉継は岩出沢から米沢に出て、伊達政宗に出兵を請うた。政宗は湯山隆信、中目兵庫頭ら大崎の家臣に内応を誘い[12]、合戦との前後は不明だが3月24日までに一迫刑部を寝返らせた[13]


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