大島
町丁
大島駅A1出入口(2010年5月)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分23秒 東経139度50分06秒 / 北緯35.689781度 東経139.834919度 / 35.689781; 139.834919
国 日本
都道府県 東京
特別区 江東区
地域城東地域
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1])
人口63,254 人
世帯数35,150 世帯
面積([2])
2.273407438 km²
人口密度27823.43 人/km²
郵便番号136-0072[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート江東
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大島(おおじま)は、東京都江東区の地名。現行行政地名は大島一丁目から大島九丁目。住居表示実施済区域。大島にあった五百羅漢寺 葛飾北斎 東京都江東区の北東部に位置し、城東地域内に当たる。北で亀戸、東で江戸川区小松川、南で北砂および東砂、西で毛利・住吉および猿江と隣接する。町域の北辺を竪川、東辺を旧中川、南辺を小名木川、西辺を横十間川と接する。 海抜−2m前後の低地となっている。いわゆるゼロメートル地帯である。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、大島8-37-8の地点で43万5000円/m2となっている[5]。 正保年間(1644年 - 1647年)頃に、海岸の低湿地を開発して村が作られ、約250年前の「元禄図」に初めてその名が出ている。当時比較的大きな島であったので、この地名がつけられたとされる。葛飾郡大島村のうち、小名木川沿岸の百姓が1657年(明暦3年)に商売屋を始め、1706年(宝永3年)には町地となり、深川上大島町と深川下大島町が起立した。この二町は1713年(正徳3年)町奉行と代官の両支配地となり、明治維新後の1878年(明治11年)に深川区へ編入された。
地理
地価
歴史
1891年(明治24年) - 永平小学校と沖島小学校が合併。大島尋常小学校が発足(現在の江東区立大島第一小学校)。教員数7名、児童数253名[6]。
1923年(大正12年)9月 - 関東大震災および大島町事件が発生。
1962年(昭和37年) - 東京都が「新大橋通り」(東京都道・千葉県道50号東京市川線)を通称道路名に指定。
1968年(昭和43年)3月3日 - 大島七丁目の木造住宅密集地帯で火災。26棟が焼失、269人が被災[7]。
1978年(昭和53年) - 都営地下鉄新宿線が開通し、西大島駅、大島駅、東大島駅が開業した。
1990年代 - 都心への利便性に比して不動産価格があまり高くないことから、マンション建設が増加し人口が集積した。
2013年(平成25年) - 旧中川・川の駅が開業[8]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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