ローカルタレントの「大島由美子」とは別人です。
大島 弓子
生誕 (1947-08-31) 1947年8月31日(76歳)
日本・栃木県大田原市
職業漫画家
活動期間1968年 -
ジャンル少女漫画・エッセイ漫画
代表作『バナナブレッドのプディング』(1977年)
『綿の国星』(1978年 - 1987年)
受賞第2回日本漫画家協会賞優秀賞
(1973年・『ミモザ館でつかまえて』)
第3回講談社漫画賞少女部門
(1979年・『綿の国星』)
第12回手塚治虫文化賞短編賞
(2008年・『グーグーだって猫である』)
文化功労者(2021年)
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大島 弓子(おおしま ゆみこ、1947年〈昭和22年〉8月31日 - )は、日本の漫画家。女性。栃木県出身。萩尾望都・山岸凉子・竹宮惠子と並び、少女漫画界において「24年組」と呼ばれる一人である。 1947年(昭和22年)8月31日 、栃木県大田原市にて生まれる。栃木県立大田原女子高等学校卒業。 1968年、短期大学在学中に初めて持ち込みをした作品『ポーラの涙』が『週刊マーガレット』春休み増刊に掲載され、デビューを果たす[1]。以降、『週刊マーガレット』や『週刊少女コミック』『別冊少女コミック』、『週刊セブンティーン』、『LaLa』『ASUKA』などで活動する。 漫画家になろうと思ったことは一度もなく、好きで描いているうちに独立した生活がそれで可能になっただけであるとのこと。学生時代は就職のことも考えており、教育実習にも行っている。実習生としては高校の男子生徒に英語を教えており、年齡の近い男子を相手にするのに苦労したという。たとえば、生徒たちは授業中は真面目であったが、帰りの電車で「先生」を連呼し、恥ずかしい思いをしている。2週間足らずの実習で英語教師の職業の妙味を会得するのは不可能で、知識としての日本語吹き替えのようなことをしたに留まり、自己嫌悪に陥り、観衆を熱狂させないエンターテイナーになりそうだったと当時のことを回想している[2]。 猫好きでも知られる。1982年より一緒に暮らした愛猫サバが1995年10月6日に死去。その後、同じ年の冬に新たに迎えたアメリカンショートヘアにグーグーと名付け、日常を描いたエッセイ漫画『グーグーだって猫である』を発表。1997年7月にはもう1匹が仲間入りし[3]、その後も増え続け、2007年5月時点で猫9匹、犬1匹という生活になり[4]、1年後の2008年5月には更に増え、猫が13匹という多頭飼育となったことが同作品中で公表された[5]。 1997年に癌を患い、同年12月に入院し手術・化学療法を受け、翌1998年7月に退院した[6]。 2001年、24年間暮らした「吉祥寺駅徒歩5分、2DK、築33年(2001年当時)」のマンション[7]から、「一坪ほどのささやかな庭がついた小さな一軒家」[8]へ転居した。 2008年には漫画家デビュー40周年を迎えた。 デビュー以降は主に『週刊マーガレット』で執筆し、1972年より『少女コミック』に活動拠点を移した。1976年当時、その理由について「『少女コミック』はジャンルの規制をせず、自由な編集方針であったこと。また「用いてはならないことば」がなかったことを挙げ、その環境が今までとは異なるテーマと形式で描くことに自らを誘発した」と語った。また、『風車』『ジョカへ…』『雨の音がきこえる』『罪と罰』の執筆には自問自答を重ね、『つぐみの森』は道徳への自戒の念に幾分かられながらの執筆となったことを明かし、結果的には自身の視野の変革がもたらされたと説明した[9]。 1999年当時、タイトルの付け方について、予告カットとタイトルの〆切の時点では作品の内容が出来上がっていないことが多いため、どのような展開になっても対応できるものを考えて提出すると語っている[10]。 ストーリー漫画とエッセイ漫画の両方を執筆する。1974年から1980年頃までのエッセイ漫画では、『ユーミン』[11]『ユーミンの不可思議な世界』[12]『ユーミンおもちゃ箱』[13]など当時の愛称「ユーミン」を表題に用いていた。 本人が主人公として登場する作品には、長く暮らした吉祥寺から近い井の頭自然文化園が頻繁に登場する。セーラー服におさげ姿で描かれる象のはな子[14]はここで飼育されていた。
経歴・人物
作品
受賞歴
第2回日本漫画家協会賞優秀賞受賞(『ミモザ館でつかまえて』1973年度)[15]
第3回講談社漫画賞少女部門受賞(『綿の国星』1979年度)
第12回手塚治虫文化賞短編賞受賞(『グーグーだって猫である』2008年)
2021年、文化功労者に選出[16]。
著作
作品
漫画
1968年
ポーラの涙(『週刊マーガレット春休み増刊』)
ペールの涙(『週刊マーガレット夏休み増刊』、原題「真夜中のきせき」)
デイトははじめて(『週刊マーガレット増刊』)
1969年
フランツとレーニ(『週刊マーガレットお正月増刊』、原題「愛は命あるかぎり」)
幸せさんふりむいて!(『週刊マーガレット』13号 - 15号)
初恋よもう一度(『週刊マーガレット』36号)
美花よなぜ死んだ(『週刊マーガレット』40号)
命はてる日(『週刊マーガレット』47号)
その日まで生きたい(『週刊マーガレット』50号 - 1970年2・3合併号)
1970年
人形の家(『週刊マーガレット』7・8合併号)
こちらFUJIX号全員無事(『週刊マーガレット』12号)
詩子とよんでもういちど(『週刊マーガレット』16号 - 22号)
男性失格(『週刊マーガレット』27号)
戦争は終わった(『週刊マーガレット』33号 - 39号)
わたしだけの先生に(『週刊マーガレット増刊』)
誕生!(『週刊マーガレット』52号 - 1971年8号)
1971年
この胸にもういちど(『週刊セブンティーン』11号)
せめて許して!(『週刊マーガレット』16号)
生きていた過去(『週刊セブンティーン』21号)
夏子の一日(『週刊マーガレット』28号)
禁じられた遊び(『週刊セブンティーン』30号)
別れへの招待(『週刊マーガレット』35号)
あしたのともだち(『別冊少女コミック』10月号)
あひるよ空に(『週刊マーガレット』41号)
パパは星になった(さよならスーパーマン)(『週刊セブンティーン』44号)
遠い日のイブ(『別冊少女フレンド』12月号)
みち子がきた日(『週刊マーガレット』49号)